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07
4月 14

生活する

すっかりブログ更新もせず、最近はただ毎日を過ごしています。生活をする、と言ってしまえばなんてことないことだけど、毎日生活を送るだけでもなかなか億劫でもあります。生活、というものがただ起きて食べて労働して寝るだけのことなのか、人によってその感覚は違うのだろうけれど、最近の私は本当にただセイカツヲオクル日々です。ひとことで言えば、退屈です。退屈以外の生活の余白のような部分に費やす時間や労力やお金が少ないと、簡単にすぐにでも退屈はやって来ます。

そんな退屈な生活でも、食べることだけは少しだけ意識をしています。食べる事が好きなのです。ただの食いしん坊なのですが。私と食事をしたことがある人は気づいているだろうけど、私は毎日食事の写真に収めます。時々忘れてしまうこともあるけれど、食べるものの写真を撮る習慣はもう8年程続いています。それは匿名ブログへアップしています。もはやすごい量の食べたものの記録があります。完全に自分のためだけの記録なのだけど、食べたものの記憶でその頃の生活や気持ちが甦ります。

毎晩残業続きでくたびれている時代も、ラーメンにはまってやたらとラーメンを食べ歩いている頃も、誰かと会って楽しかった日も、喧嘩したり心が荒れてたことも、もう二度と会わないであろう人と食べたごはんも、食べたものの写真を見ると思い出してその記憶すべてを愛しく感じるから不思議です。そもそも思い出ってそういうものだけれど、私にとってはその日に自分が選んで食べるもの自体がその時の自分の状況を表している気がして、すごく愛しい気がするのです。そういう気持ちから毎日食べるものを写真に収めるようになったのです。

精神的に調子が悪い日は、何時間も食べるものを決められずにスーパーや飲食店やコンビニをふらふら彷徨う事があります。毎日食べたい気持ちや食べたいものがあって、そして食べ物が当然のように選べて手に入れられる生活があって、こういう当たり前の幸せを退屈という言葉で済ますのは本当は申し訳ないのだけど。この退屈に感じている生活も、いつか食べた物の写真を見返した時に思い出して愛おしくなる日が来るのね。


18
2月 14

自分の顔がきらい

何かがしばらく滞っていたり怠っていると、そこから動くのって継続している時よりもずっと大きな力が必要になったりやや長目の助走が必要になるもの。気持ちだけがいくらあっても腰が重い。このブログも書く時期は立て続けに考えている事を文章にまとめたくなるのに、間があくと必要性すら感じなくなる。
人との関係もそうで、ちょっと連絡を怠っていたり言いにくい事があると先延ばしにして面倒くさくなって、そのまま関係性まで自然消滅する場合もある。私はマメなのと物事ハッキリしたい方なので人(特に自分にとって大事な人)との関係はフェイドアウトさせることはないのだけど、それでも日々忙しいとそうもいかなくなるのは仕方ないような寂しいような。

なんて、色々と言っているけど何を言いたいのかというと、絵を描かずに数ヶ月経っている。働いたり生活が慌ただしくなると今までもこの程度は絵を描かない時期があったのだけど、それを防ぐためにも毎年個展をいれてきた。だけども今年は、個展もいれていない。

さてどうしよう。そろそろドカンと個展をやりたい気持ちがある一方で、近年八方塞がりの日常のせいなのか、ちょっと落ち着いて気になってる事をやってみようとも思っている。気になっている事、それは描写をすること。浪人時代は元々描写が好きでわりとモノを見て形を描いていたのだけど、それをしなくなってもうずいぶん経ってしまった。

私は自分の顔が好きではなかった。なんでこんな目なんだろう、鼻なんだろう、眉毛なんだろうって鏡をみるたびに思ってたけど、大人になるにつれ、慣れて自分の顔を受け入れるようになった。いまだに写真を撮られるのが嫌いでカメラを見る事もできない。
顔の特徴が薄いので人から覚えてもらいにくく、制服を着るバイトをしていると親しい人でさえ私服姿の私には気づかない。それでいて人と会うと誰かに似ていると言われる顔で、しょっちゅう誰々に似ていると言われる。写真と実物の印象も違うらしい。

つまるところ、つかみどころのない顔なのだろうと思う。頻繁に似ていると言われる女優さんがいるのだけど、全く似ていない!と言ってくる人もいる。たぶん、似ているという人による解釈の違いって、骨格で見る、表面的なパーツの形で見る、パーツの配置で見る、全体の雰囲気、服装や髪型から認識する、等の違いによるものだと思う。

つかみどころのない私の顔も、近年はすっかり「眼鏡+ショートカット」というアイコンによって、わりと人から認識されるようになった。記号化された私の顔は、その記号が無くなった時に何が残るのだろう?

自分の顔が嫌いなせいか、自画像が嫌いだった。自分の顔が全然自分でもつかめないのだ。描いても描いても、自分の顔が定まらない。自分の画風から考えたら描写とはいえそんなに似せる必要ないのだろうけど、つかみどころがないものを描くのはすごく気持ちが悪い。

それでも、最近久々に重い腰を上げて描こうと思ったのはなぜか自画像だった。たぶん、自分と向き合う時期なのだろうと思う。


19
1月 14

幸せとは鈍くなるということ

年末年始はいつもブログで反省や豊富を書いたりするのに、今回はすっかりブログ離れしていました。気づいたらもう今年も半月が過ぎています。相変らず月日の経つのが早過ぎて、ちょっと前の瞬間やずいぶん先のことを考えては、気が重くなります。そして、去年の今頃のできことを、最近はよく思い出してしまいます。

いつだったかふと思ったことなのだけど、無邪気に心配事も無く「幸せ〜♪」みたいな感覚って、鈍くなる事かもなぁと思ったりします。例えば好きなものや人、興味があるものや人に対しては、どうしてもあれやこれや想像して考えていて、想いが強いとそういう想いがふわふわとした妄想止まりではなくリアルな方向にガンガン進んでしまうので悪いことも過ったりして。例えば信じようとする気持ちが強い程に逆に信じられない部分が濃く見えてしまったり、大事だと思う事が大事だと思う程に重くなってきたり。

そうこうしているうちに、きっとそうした強い想いから一歩引いてちょっと鈍く無邪気に何も考えず、いいところだけ見て嫌なことはいっさい想像せず、心地よいことことばかりを反芻する、、、そっちの方が幸福感は得られるのかも?と思うのです。

でもこれって、やっぱり私がひねくれているんだろうか。。。

私の考える幸せは、もうちょっとぶつかってく感じだったり、抵抗感を得られる感じです。辛いけど、疲れるけど、ただゆるゆるふわふわと一見特に問題もなく(感じるような)、一見滞り無く(見えるように)流れていくような、そんなものにはたぶんすぐに飽きてしまうのです。鈍く何も心配せずにただ信じるよりも、心配だらけで辛いけどそれでも信じてみるという感覚の方が、ずっと愛や覚悟を感じます。

歳をとるにつれ、後悔したくないという気持ちも強くなりました。とはいえ私の性格上は相変らず優柔不断な事の方が多いのですが。こんな私が絶対に!と確信を持つ事なんか、人生においてそう何度もあることではないのです。

今年はちょっとだけ優柔不断を優柔決断に持っていきたいなあと、そんな風に考えている年明けです。


26
12月 13

Worksに2年分の作品を追加しました。

久しぶりにサイトの更新です。
2012年、2013年の個展の作品を追加しました。

http://naoko-nojima.com/works/

 

毎年テキストを展示に加えているのですが、いつもそのテキストの評判が良いので、今回はテキストもWorksに加えました。
現状としてテキストの位置付けが難しくて、私の作品にとってタイトルとテキストの意味は大きいのだけれど、作品展の中でそれをどういう形で表現するべきなのかシックリくる形が見つかっておりません。
そんなわけで、サイトにおいても作品の一覧の中にいれてみました。

クリスマスも、イブが終わるとクリスマス当日午後からそこらでクリスマス飾りが片付けられてお正月のディスプレイにかわります。今日のぞいたスーパーでは、普段は安いカマボコがお正月用に三倍ぐらいの値段になって種類豊富に並んでいました。こうなるともうすっかり年末モード、今年の反省振り返り気分です。(カマボコのお正月価格には毎年ついついひっかかってしまう!)

今回追加した2012年,2013年は、今まで長い間続けていたギャラリーではなく、別の場所で個展を行いました。これはたまたまタイミングがそうだっただけで特に強くそれを望んだ結果ということでもありませんでしたが、いろんな場所で展示することは新たな発見につながるので勉強になります。

私の制作活動は「個展」という形で進んできているので、それを無しには今のところ考えられません。だけど最近は、変わり目かもな〜と制作もプライベートにも感じています。勿論いい意味で変わり目にしたいと思っているし、そう出来るのではないかと思い込んでいます。

今年もあとわずか!


01
12月 13

言われる側の心得

人と会うとか、作品を作って発表するとか、そういう行動が増えるほど必ずといって批判的な事を言われるのはつきものだ。私には所謂勝ち組のようなわかりやすい成功の要素が全然ないし、人見知りしたり外見の印象と中身がわりと違うので、色んな人や場所によって本当に色んな事を言われる方だと思う。ひょうひょうとして見えるのか、天然でニブイように見えるのか、そんな困った奴に厳しく教えてやろうというニュアンスで攻められることもある。(そういう時にはあまり反抗できなくて後からいっぱいああいえば良かった!っていうのが出てきちゃうのが悔しい。。)

あまり人に意見を求める方でもないので色々言われても最終的には気にしないのだけど、それでも嫌な言われ方をすると凹んだりはする。(そりゃそうだ!)
第三者の意見が勉強になるなと思うのは、内容どうこうよりも、そういう考え方の人がいるということや、こういう印象を持たれる場合があるんだということ知れることだったりする。内容に関してはなるべく影響は受けたくないというのもあるけれど、自分がずっとやってきたことに対していきなり批判的意見を受けて、そんなものでアッサリ考えが変わったらそれこそなんの芯もなく今まで生きてきたってことでしょう。そこは冷静でいたい。

他人だからこその客観的な意見はあるだろうけど、そういうものが増えてきて混乱したらどこを信用して拾っていくかは難しい。それでも自分をよく知っている人や今まで関わった人の意見の方が入ってきやすいのは当然だし、今まで一緒に働いてきた人達から信用してもらえたり、展示をずっと見てくれてた人が応援してくれたり、付き合いの長い友人達が変わらず会いたがって連絡くれたり、そういうこれまでの積み重ねで出来上がった関係をたくさん持てていることには自信を持っていたい。
挫けることは多いけど、みんなに愛されてるなーとか恵まれてるなーとか思うことも多いのです。皆さん、いつもありがとう。

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