トップページ > Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog

02
1月 19

目標もなく描く

新年があけました。昨年は特に発表の機会を設けない一年でした。

毎日仕事に明け暮れる生活の中で絵を描き続けることは難しいけれど、ふと描きたくなる瞬間が多かった年でもありました。展示を決めてそれに向けて描くタイプなので、発表の予定がないのに日常的に描くということが実は今まであまりなかったのです。

目標なく描くと、意外な発見が多かったりします。意図しない気づきや、逆方向に行ったおかげで現行が間違いではなかったという確信にたどり着けたりもしたので良いきっかけにもなりました。

以前はそこまで美術展に足を運ぶタイプでもなかったけど、近年は何を探すように音楽のライブや美術展にも行くことも増えました。なんというか油断すると日常生活に埋もれてしまいそうになる感性を奮い立たせるように仕向けるというか、おかげでなのか返って自分に響くことを見つけて感動する感覚も大きくなったような気もします。

最近は電子マネー化が進んで手でお金を数えたり目に見えてお金が減っていくことを感じられないことに少し怖さを感じつつ、便利にはかなわないなぁとも思ったりします。昔のバイト先で、世の中振り込みが主流なのに給料袋でもらっていた時期があって私にはその給料袋を手に取る瞬間の手応えがすごく良かったり。デジタル表記の時計より文字盤の方が時間を感じられたり。私の性格がひねくれているせいで時代と逆行したいだけなのか、アナログ世代が染み付いているのか、なんとなく体感的に感じられないものが苦手なのかもしれません。

そういった電子化や、断捨離や終活といった捨てることや身軽になることがブームの中、やっぱりまだまだしつこく手応えを求める生活をしたいと思うこの頃です。自分にまとわりつく重みを感じられるモノ達をずるずる引きずりながら歩き続ける体力をまだ失いたくないという感じです。

まだ昨年のような発表の機会もなく目標など定めずに描きたい気持ちもあるんだけど、そろそろまた個展でもしようかなというのが今年の気分。さてどうしようか。

そんなわけで今年は実りある制作活動をしたいところです。


09
6月 18

続け方いろいろ

大学を卒業してから年数が経って、周りを見ても自分もだけどそろそろ1周回って落ち着いたみたいな感じがある。
制作活動は色々な続け方があるけど、教授や先輩たちが必ず言うのは「続けることが大事」で、自分もそれだけをなんとか粘ってやってきた。だけど、闇雲に無理して体力と精神力を頼りにしても、自分が若い頃に思っていた程の成果は自分で実感を得ていないのがほんとのところ。

私はこの先も続けるのだろうけど、続け方が下手だと思う。結局仕事も生活も制作も全部が大事で全部が中途半端というか形になっていないというか、全てに納得いっていないけどそんなものなのかな。

いまだに続けている同級生達の、それぞれのやり方がいいなぁと思うこの頃。評価をされて表舞台で続けられる人のことはさておき、自分含めそれ以外のポジションで続ける人たちの作品がリアルだなとこの頃は思う。たいていはブランクがあったりするし作風も『現代の現代アートな作風』でないところもいい。
なんだかんだ言って絵を描きたい、そういう本来の姿に戻ってきているような気がする。

もちろん評価されている人を否定しているのではなくて、そこから解放された人たちのリアルみたいなとこ。例えば、油絵科だからと油絵具に縛られて窮屈に感じていた同級生たちが油絵具への執着がなくなっていたり個展などの発表活動や売り込みとは無関係に描き出したり。鉛筆などのモノクロ単色で人の顔を写実で描き始めたとか、サラリーマンしながら水彩でイラストを描き溜めているとか、久々に絵を描きたくなって今更(芸大出てるのに!)絵画教室を探してるとか、現代アートの「今」にいる人たちのアートな説明よりも、そういう人たちの今思っていることや今の作品の方が興味深い。私はといえばどちらでもない中間辺りにいて、結局いつも中途半端な立ち位置だけど。

学生時代にライブを見てから好きだったミュージシャンが活動をしなくなってずいぶんたってもう辞めたのかと思っていたら、今年15年ぶりに突然アルバムを出した。
それがまたとっても良くて、しがみついて惰性で続けたり表舞台にいるだけが続け方じゃないなと思ったりもして。
自分の続け方を見直す時期だなと思いながら、最近は久しぶりに自画像を描いたり夜な夜な刺し子をしている。

 


07
2月 18

ほんのちょっとの

おかしみ、

という言葉が近いかな、と思う。
私がこの言葉にピンときたのは、器の作家さんの展示等を企画している方のお話の中で
器の中にクスっとくるようなちょっとした『おかしみ』が感じると更に良い作品だと感じるというようなことだったと思う。

ユーモア、というものを履き違えている人はたまにいる。ブラックユーモアに置いてはもっと顕著だ。
ブラックユーモアには根本に愛のようなもの、もしくはほんのちょっとの救いがある。
ただの批判を毒舌だとかブラックユーモアだとかいうのは、なんだか違うなあと。

そこに、愛はあるのか、ということ!

ユーモアは、ガハハキャッキャとはしゃぐ無邪気なものとは少し違って、正に おかしみ、だと思う。
ほんのちょっと滑稽だったり、情けなかったり、くだらなかったり、必死だったり、皮肉を含んだり、そういう要素がちょっとだけ入っているんだけど、でもなんだか笑えるんだよなぁ、ってそういうこと。(だからユーモアには愛がある。)

優しさや思いやりもそうなんだけど。
ほんのちょっとのそれが感じられた時ほど、真の気持ちなのではないかと信じたくなるから。

映画でも、残酷な結末が嫌いだ。とはいえ、根本が暗い人間なので暗いストーリーは好きなのだけど、暗いとか厳しいだけの現実を描いていても、ちょっとだけでいいから希望を感じさせて欲しい。最後にきらっと光が差し込む美しい風景が、一瞬写るだけでもいい。逆に幸せなストーリーにほんのちょっとの毒があるとグッと来る。
ただただ残酷、ひたすら不運、なんとなく幸せになりそうにない雰囲気、そんなもんだけで物語を完結して満足しているのは、エゴかじゃないのかなんて思うし、そういう残酷さ全開なストーリーに簡単に泣けるのは、きっと幸せな人なのだろう。

学生時代の当初は作品を褒められる時にキレイだとか詩的だとか言われる事があったのだけど、そういう言葉をかけられると捻くれた私はそこにちょっとの毒を加えたくなる。そうして僅かな毒を盛っているうちに気づいたら、そのちょっとの毒が、画面全体に広がっていた。
以前作品について書いていただいたテキストの中に、一見鮮やかできれいな色なのに毒を持った虫のような作品だという記述があり、私自身もしっくりきた。

実際に私が一見もったりゆったりして見えるのに、毒のカタマリなのです。
だけど、其処(底)にほんのちょっとの救いやユーモアを持っているつもりだし、こんなに皮肉っぽく生きてるつもりなのに実際は間が抜けた事態に巻き込まれやすく気づいたらなかなか滑稽な人生でもあり、そのほんのちょっとのニュアンスが作品の中に(重みにだけ片寄らずに)もうちょっとだけ出てくれれば 気楽なのになぁと、思う訳です。


24
11月 17

アートフェア札幌

先日は馬喰町のグループ展へお越しいただいた皆様ありがとうございました!

グループ展は苦手だけど、今回は好きな小説『檸檬』がテーマだったので制作は楽しめました。

DSC_4466

爆発できなかった檸檬と爆発できない自分が向かい合っているような、そんな気分で大きな檸檬の先っぽみたいな山(のような檸檬)を描いたのですが、

爆発の時を待ちながら爆発できていないということは、もやもやもんもんを抱えながらいるので実はすごく大きな力を秘めているのではないか?とも思っております。

 

さて、明日から札幌のアートフェアに参加します。

http://www.artsapporo.jp/2017/fair/

ホテルのフェアは客室を使ったイベントなので、普段泊まらない限りはなかなか入ることのない客室に入れるのも楽しいと思います。

1403号室(Emigre Collection)にて旧作ですが思い入れのある箱のシリーズから出品です!

★クロスホテル札幌(CROSS HOTEL SAPPORO) 1403号室:Emigre Collection

★25(土)11-20時/26(日)11-19時

★入場料 ¥1000

 

地元北海道で作品をおひろめするのは実は初めてです。会場に行けないのは残念ですが是非この機会に足をお運びいただけると幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 


10
10月 17

来週からグループ展が始まります

梶井基次郎の『檸檬』を初めて読んだのは学生時代の国語の授業で、檸檬の温度感や質量や発色の描写部分はずっと鮮明に私の中に残っていた。

今回のグループ展は『檸檬は爆発の時を待っている』というテーマの元に、過去に働いていたギャラリーカフェで、それぞれある時期に働いていたメンバーたちのグループ展示。

https://www.art-eat.com/event/10th/

このテーマを与えられて久しぶりに檸檬の文庫を出してみた。読んだ当時、まだ自分が絵を描くことになるなんてわかっていなかった頃と、今現在の自分と、その2つの時間軸が歪んで絡みあった気がした。
祈る様な気持ちと軽い悪戯心で仕掛けられた、ごく普通の檸檬。
その檸檬が長い年月を経て私の目の前に現れた時、その変わらずそこに在る姿に自分を重ねた。

爆発できなかった、期待に反して爆発はできなかった。むしろ、そりゃ普通の檸檬が爆発しないよな、と、つまらん現実的な自分が今はいる。さしてドラマチックで面白いことなど滅多に起こらない事を知ってしまった。もうずーっと何も起きない日常のなか、悶々としながら日常的に日常を送っている。

結局、主人公が檸檬に託した悶々は、時空を超えても今の私の悶々となにも変わらなかったのだ。

そんな気持ちで今回の絵を描いたけど、決して後ろ向きでもない。自分を爆発からしばりつけていたものが自分の一部になってまとわりついている。私が必死に深刻ぶっても、それ自体はわりと間抜けでアクセサリーみたいに自分を飾って演出している。

この必死で間抜けな深刻にしばられてる姿が今の私なのだ。

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『檸檬は爆発の時を待っている」

日程:2017.10.20(金)〜11.15(水)

- 火・水・木 12:00~19:00
- 金・土 12:00~21:00(20日は17時close)
- 日・月・祝休廊
- 最終日17:00まで

【★Bar檸檬】…期間限定でBAR営業があります
会期中の 金・土 18:00-22:00 (20日はのぞく)
(10/27、11/4、11/11はBar檸檬にて佐々木諒によるパフォーマンスあります!)

レバノンワインやアラック、オリジナルカクテルなどのアルコール類、タパスのご用意があるようです!

 

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