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09
6月 13

しつこさと距離感

私は自分をしつこい人間だと思うしすぐに頭が一杯になるけれど、その一方で完全にのめり込む程の持続力のない飽きっぽさもあるのでそういう意味では何に対しても距離感があるような気もしている。

絵を続けているのはそのしつこさのせいもあると思う。

美大時代の同級生はもうずいぶん絵を止めてしまっていて、続けている方が珍しいぐらいだ。それでも一時期止めたところからまた戻ってくる人もいるので、スポーツなんかとは違って再開できる可能性があるのはいいことだと思う。(もちろん復帰の精神力体力はかなり必要だけど。)

勿論売れているから続けている人も一部いるし、実家暮らしや生活が多少安定した環境の中で続けられている人もいるけれど、私のようなポジションで続けているとなると更に少なくなる。歳とともにそろそろやめようかと過るスパンも昔より短くなった気もするし、そこから這い上がるとやっぱりしばらく止められないなということにもなる。

浪人が長かったので予備校時代から絵を描く事や美術からイチ抜けしていく人をずいぶん見てきた。多浪してから美大に入って正直な第一印象は、予備校の方がレベルが高かったということ。完全に私の主観だし学校にもよるとは思うけど。自分もよくしつこく多浪したなとは思ったけれど、受験で脱落して描かなくなっていく人の中にもたくさんの可能性があった。続けることこそ才能だなんてこともよく聞くけれども、そういうことならばしつこい私にはわりと才能があるようだ。

美大の同級生の結婚式なんかで久々に皆と再会すると、まだ描いてるなんてエラいみたいにしみじみ言われたりするし、久々にFacebookで再会した予備校の同級生にも続けてるのを知って嬉しかったとか応援しているとか、そんな風に言われる。逆に作家活動としては描いていないけど時々絵は描きたくなって描くよなんて話を聞くと、こっちこそ勇気づけられたりもする。

私の制作活動は生活とごちゃ混ぜで、結果的には生活無しには作品が生まれない。すごく自意識過剰だったりもするけれど、生活がある以上は自意識だけにも偏れない。日々を真っ当に送るという当たり前の事をしなければいけないし、そこに対する執着も案外あったりするので、自然と制作との距離感ができるのだと思う。

しつこさと距離感のどちらもあって、なんとなくバランスがとれている気はしている。

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06
6月 13

台湾

惹かれる国というのがあるならば、ロシアと台湾かな。。。ロシアはロシア映画が好きだった頃になんとなく地元北海道のひんやりした空気を思い出してしみじみと好きだったのだけど、台湾に対しては漠然となんとなく好きじゃないかと思っていました。
先月今回ヤングアート台北 http://www.youngarttaipei.com/ に作品を出すことになって、憧れの台湾へ初めて行ってきました。

海外旅行は好きだけどなんとなく落ち着かなくて最後は疲れてしまったり、食べ物が合わなくてすぐに食生活が辛くなるのだけど、台北はその緊張や問題もなくてなんだか懐かしい感じがしてやっぱり好きな国だった!

たまたまむこうに友人もいたので夜市に一緒に行ったり、知人のラーメン屋さんをのぞいたり、もう何年ぶりだかわからない知人と久々の再会して作品まで買っていただいて、いい思い出しかない旅行になりました。

久々の再会の会話の中で、台湾のこの懐かしい感じは昔の日本に似ているんじゃないかなあという話になって。実際はすごく都会だし駅なんかもきれいですごく使いやすいんだけど、道や店内に野放しの犬が普通に歩いていたり、コインロッカーの使い方わからなくて困ってたらランニングにステテコみたいな姿のおじさんが助けてくれたり、道路ががたがただったり、、、小さい頃の日本ってこんな感じだったなーと、そんな気がしました。

台湾また行きたい!
近いからか、すぐにまた行ける気がしています。


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楽しくてつい旅の写真ばかり撮ってしまうけど、アートフェアの方もお客様にたくさんきていただいてすごく充実していました。こういった機会に恵まれて参加できただけでもよかった!

 

 


03
6月 13

若さと馬鹿さと、大人の強さと鈍感と

先月またひとつ歳をとりました。いい意味でいつまでも子どものようでいたいと思っている私も所謂大人になっているなあと、最近は特に感じます。さて、今日もツイッターで共感した蒼井ブルーさん(カメラマンさんのようです)のつぶやきから。

@blue_aoi 「顔にシワが出来たり髪が白くなったりしていくのちっともこわくないけど鈍感になっていくのはやだな。」

私はもうシワも十分に怖い年頃なんだけど、この鈍感さっていうのはもっとずっと怖いと思っています。

今まで年下と接する事が比較的多かったのだけど、近年は5歳以上離れた年下と話していると自分もけっこう大人になったと感じる事が急激に増えました。自分も若い頃はこんなだったのかも?と振り返ってみたりしながら話を聞くようにはしてみるけどなかなか違和感は埋められなくて、今までの大人達が散々言ってきた「まったくイマドキの若者は」という気持ちになる事も増えて。

歳をとるにつれて確実に強く(タフに?)なる一方で、鈍感になっていくのは怖いことだと思っています。私が1番苦手な「おとな」的な振る舞いは、面倒ごとに関わらないようにしたり、流すことや感情を押し殺すこと。私が感情的にわーわーするとそれを子どもだと言う人も時々いるけれど、本当は嫌だったり傷ついているのに、流したり傷ついていないように振る舞うことが大人なら、別に大人になんかなりたくないのです。自分の感情に鈍感になるのは嫌だし、そこにすら気づかずに無意識で大事なことから逃げて傷つかないように自分を守るのが大人ならば、ずっと子どものままでいい。自分にも誠実でいたいし、誠実でいることには精神的体力が必要で疲れることなんだけどね。

もちろん無防備に何に(誰に)でも感情をぶつける訳でもないし、それこそ大人なので他人に迷惑をかけるのは避けたい。その中で自分にとって本当に大事なことや人には、傷つきながらもある程度ぶつかっていくことが結果的に健康的な気がします。

中高生の頃に大好きだったユニコーンが解散する時の最後の曲「すばらしい日々」の歌詞は、当時の私にとって大人の唄でした。大事なものを捨てたり忘れたりして生きていくのが大人なんだろうなと漠然と感じていました。時々youtubeで懐かしい曲を検索してる時に聴いてしまうのだけど、やっぱり今聴いてもその印象は変わらずです。

http://www.youtube.com/watch?v=UA33zQ-DY1w


30
5月 13

2つ以上の世界を持てるかどうかで

ツイッターでいつも好きなツイートをする忍さんという方がいるのだけど、彼の呟きで最近しみじみ共感した内容がこれ。

@shinobuk「世界を2つ以上持てるか、それによって生き延びられるかどうか決まる気がするんだな。」

ここにおける生き延びるというのは、豊かに生きていくというか、精神がある程度健康でいられるかというような意味合いだと思う。

美大や美術予備校なんかで絵を描いている人には、好きな音楽や映画や小説などそういうものをたくさん持っていることがその人の感受性になる部分もあって、美術以外にも愛する文化をなにかしら持っている人が圧倒的に多かった。

そんな私も好きなものやことが多過ぎて持て余すぐらいで、美術の他にも映画も音楽も食べ歩きやお酒も、雑貨や洋服も、時間もお金もないのに好きなことだらけ。2つ以上の世界を常に持っている。

社会に出てからは、働きながら絵を描くという生活に疲れる事も多いけれど、やっぱり仕事の他に制作活動というもうひとつの大事な世界があるから私は生き延びているのだろうという実感もある。

ずっと作品のことだけ考えて生活できればいいなと思う一方で、案外仕事も好きだったり働いて外側の社会と関わる事でバランスとれているんだろうなと思う事も。絵を描くというのは(自分の作風の場合は特に)すごく個人的で孤独な作業なので描き出すとすぐに精神が引きこもりを起こすし、制作を長く続けるにはバランスが大事ではないかなと。

仕事だけが生き甲斐という言う人は、仕事の中で2つの世界を持っているような気がする。生活のためと、仕事の内容がそもそも楽しかったりするのかなーと。

大抵の人は働いているので、仕事ともう1つ以上の他の世界を持つという事になる訳だけど、その2つ目の世界の質感によって人の豊かさはまた違ってくるのだろうとも思う。

今のバイト先では暇な時間にお客さん観察してるのだけど、今まで自分にとって知らなかった世界であるキャバ嬢との同伴客の観察は特に面白い。面白いと言いつつも、時々すごくむなしくなる。それなりにお金もあるだろうその人にとって、このからっぽなヤリトリがもう1つの世界として彼のバランスをとっているのかと思うと、なんだか切なくなったりする。まぁ本人がその時本当に楽しくて癒しになって頑張れるのなら、私が色々思うこと自体失礼なんだけどもね。

もう1つ以上の世界は、特別な事でなくてもいいと思う。好きな人との恋愛だったり家族でもいいし、ベッドから出ないでダラダラしてる時間でもいいんじゃないかな。

元々たくさんの好きで大切な世界を持てる自分は恵まれているのかもしれない。

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06
5月 13

ひねくれバンザイ

私をよく知る人なら、私の極端な卑屈さやひねくれ具合、自意識過剰でマイナス思考のカタマリなのはよーくわかっていると思う。中途半端な知り合い方だと、こういう部分がチラ見えした瞬間に心配されたりする事もあるんだけど、これも一周回って振りきってるので自分では完全にプラスの力だと思っているし、なんならちょっとこの部分に自信すらあったりもする。

絵を描いていると、辛いことがあった時にそれを作品に落とし込めるのは幸せなことだなってよく思うし、私にとってはマイナスやひねくれが作品の糧になる。なによりもこのひねくれこそ私のアイデンティティーだと思っている。

ゆるゆるふわふわとキレイなとこばっかみて、人のいいとこ誉め合いの白々しい会話は嫌いだし、今ではよく見かける自己啓発じみた本によく書いているような強引なプラス思考、そんなもんの受け売りみたいな言葉を口に出してけば幸福にでもなれると思っていそうな人がプラス思考こそ正解!みたいに思い込んでいるのもちょっと気持ち悪い。

あと、プラス思考(風な)人たちがよく口にする、帳尻あわせ的な解釈が好きじゃない。
苦労したらその分いつか報われるとか、幸せそうにみえてもズルいことしてたらいつか壊れる時が来るとか、人は帳尻合わせが好きだなあと思う。私もそう思いたい時はあるけれど、そんなもんに根拠がないこともわかっている。そんな慰めがないと生きていくの辛いのだろうとも思う。

帳尻なんか合わなくても、今を誠実に過ごそうとする事しか信じられない。
どんな人にもいいところはあるし、悪いとこもあるし、悪いところが気になるからってその人を嫌いになることもない。逆に、いい人を好きになるわけでもない。嫌な奴の嫌な部分が人間らしくて微笑ましくなるときもあるし、いいところが退屈に感じることもある。

案外わたしは、プラス思考で人間好きなのかなあ。ひねくれバンザイです。

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