Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 制作メモ

制作メモ


1
10月 12

体感的色選択

油絵具が大好きです。質感も色も。
私は、とにかく慣れて馴染んで、自分のものにして使いこなす感じでないと作っていけないタイプなので、ダンボールにでも板にでもクレヨンでもペンでも描いちゃうみたいな人とは違って 、そこのところはすごーく不自由な絵描きです。

浪人時代に苦労したことの1つに、デッサンと油絵の違いがあります。
当時私は描写することも好きだったし、木炭や鉛筆の質感やグレートーンの色調を味わいながら描くのが好きでデッサンには自信があったのですが、油絵への苦手意識が強くてそこが克服できずに違和感を感じてたのです。

それって後から思うと当然で、全然違う材料で描くならば描き方も変わっていいわけです。
画材によって描き方が変われば画風も得意なモチーフが違ったりするのも当然といえば当然。
なのに、油絵とデッサンが1セットという受験の流れに混乱して、勝手に不自由になっていたのだと思います。

さて、私が作品で多用する蛍光ピンク。
色としてはインパクトもあり、確か浪人時代には蛍光色はまだ新鮮な色だったと思います。
ピンクはフェミニンな印象を与えてしまうので、そんなつもりは無くても色で「かわいい絵だね〜」なんて言われる事もあります。(ちなみに私の絵はエグいや怖いの感想も時々聞くので、見る人によって印象って全然違う!)

この色は勿論好きな色でもあるのですが、使う理由は断然使い易さです。
色の使い易さというのは、はてどんなものか?と。
例えば、抽象画など描くときやデザイン的な作業をする際に、困った時にバスッと強い色や濃い色を置くと画面が引き締まります。
私はそういう色の置き方は好まないので、そういう色の選び方はしません。

この蛍光ピンクは質感的にとても使いやすいのです。
私の作品で近年どんどん面積的に増えてきた「垂れ」と「細い線」を描く際に最も描きやすい質感がこの色なのです。
似た様な透明度や粘度の他の絵具を探しているのですが、なかなか同じような形に垂れたり同じ太さの線が引ける絵具が見つかりません。それほどに油絵具は質感の違いがあります。
そして私は油絵具のそこが好きなのだと思います。

そんな感じでどの色も、色の重ね方や使い方にも、自分なりの必然性を持たせるように気をつけています。勿論それがすべてでもないので、もっと自由な 部分もありますが。。。
なので結果的に使う色が決まってきてしまうのも、色彩的な好みだけではないわけです。

そういえば昔TVで見たのですが、目が不自由なのに写実の絵を描く画家が出ていました。
彼女は絵具を指で触るとその触り心地で色がわかるというのです。

絵を描くことは筆を使ったり目を使ったりしている作業だけど、私も絵具とキャンバスを直接触っているような感覚でいつも描いています。
色選びも体感型なのです。


30
12月 11

内側にいて外側にいて

 

今年も残すところ2日。いつもの年末がやって来た。
いつものように個展を終えて、いつものように仕事納めして、静かな冬休み。

いつものように、が、いつものようじゃなくなる可能性について日常で想像する事は少ない。
けれど今年は、そういうことを頻繁に想像するようになった。

そんな特別な年にも個展が出来て、色んな人やものや環境や、自分の元気な体や魂に感謝します。

さて、たまには個展や作品の説明を自分なりにしてみようかと思う。
そもそも説明するのって、野暮だなと思ってる。
私の作品は私小説ならぬ私絵画で心象風景みたいなものだから、特に。
自分でも手に負えない”無意識”を制作しながら拾い集めて曖昧なまま形に残している作業なのだ。
だいたい、トラウマをこれがアタシのトラウマです!なんて言えるわけないし、悩みを人に話したい人ばかりではないでしょ。

美術の文脈とか現代社会がどうとか、そういうのが大事なタイプではないけど、
よっぽど広くずっぽり現代社会で生きてるつもりもある。
毎朝通勤電車にゆられて、残業してくたくたでも1人でお酒のんで帰宅して、暇さえあればネットをのぞいて情報収集する。
そんな私がどんなに自分の描く世界は個人的な世界ですから…なんて言っても、完全にゲンダイシャカイの真上にいるわけだから。
だから今の私は今のこの世界とちっとも切り離せない。当たり前だけど。
と、ちょっと話はそれたけど、今回はゆっくり個展の説明をしていこう。

 

まずは展覧会タイトルにもした展示の大きなテーマについて。

誰もが今年を振り返る時に震災と原発のことになると思うけど、私も勿論そうなるわけで、
だけどそれをキッカケに考えるようになったのは自分の位置とかそういうこと。
例えば、人を殺したり自分が殺される夢を見た時に、
刺す感触やピストルで撃たれた瞬間のフワっと脳が浮く感触を、けっこうリアルに体感してるような錯覚をする。
そしてどちらの場合にも「あ、ホントに死ぬんだ。」と瞬間がスロウモーションになってその中で思うの。
次に「自分も殺人の当事者になる可能性があって、実際になってしまってるんだよね?これって。」と冷静に実感する。

私には、起きてしまった事に対して完全に何も出来ない。
倒れたコップの水がこぼれるのをなんとか手でおさえてるような気持ちで、
イキモノみたいに街に覆いかぶさる津波や、骨をむき出しにして煙をあげてるフクイチをただTVで眺めてる。
どういう経緯でここに在るのかわかんない食物をモヤモヤしながらも口にする。

外側にいたつもりの自分がいきなり内側にいる。
カギカッコみたいな括りがついてたり、ポロッとずれたり、そこからダダ漏れしたり、その内側に入ったり外に佇んでたりする。
だけれども同時に、その外側でも自分の生活や自分の悩みは現在進行形で進行するんだよね。
小さなことでくよくよして、仕事やプライベートで失敗したり傷ついたり時にはすごくつまらない涙を流したりもする。
どうでもいいことに怒り狂ったり、大事なメールを何時間もかけて書いたり消したりする。
生活に追われて時間やお金についてうじうじ悩んで、缶コーヒー買うにも¥120と¥100で真剣に迷ったりする。

結局そこ(ここ)から私は動けないのだ。生きてる限りは。

そんなことを彼是考えてたら、
なんとなく今回の個展のモチーフがさわさわと見えてきて、テーマが決まった。

 


9
6月 11

みつあみを持つ女の短い話

みつあみの話の、おまけ。

 

私は邦楽のバンドの音楽が大好きだった。

自分が成長するに従って、好きだったバンドは解散したり、メンバーが亡くなったりすることがたびたび起こるようになる。
20代で亡くなってしまった、昔好きだったバンドのボーカルは、長い黒髪で1本のみつあみをしていた。
みつあみは彼女の体の一部のように蛇みたいにしっぽみたいに、彼女の動きに合わせて動き回っていた。
男の観客ばかりが暴れまわる激しいライブばかりするバンドで、華奢な彼女はみつあみをブンブンと振り回して歌っていた。
彼女は結婚して出産の頃に髪を切り、みつあみをやめる。
それから間もなく、謎のまま亡くなった。
いまでも、彼女の曲を聴いてを彼女を思い出すときは、しっぽみたいなみつあみを思う。
私は大好きだった歌手や女優が亡くなった歳に追い付くたびに、彼や彼女たちに比べて今までの自分はどんなものかを考えると、やっぱり少し落胆する。
だけれどそこでの救いは、私は彼らよりも長く生きて、長く時間を使えることだとも気づく。


9
6月 11

例えばみつあみの話。

子供の頃はずっと、腰辺りまである長い黒髪だった。
母が長い黒髪が好きで、当然のようにそうだっただけなんだけど。
中学時代にショートカットにしてからは、ショートカットにしたり腰まで伸ばしたりの繰り返し。
私は、母が望む姿でいることが好きだったけれど、女の子らしい格好を毛嫌いしていて、母がワンピースを買ってきても滅多に着ることはなかった。

当時は髪を伸ばしても、毎日ポニーテールで、変わった髪型をすることはあまりなかったし、
私はみつあみに憧れていた。
たまに母がみつあみにしてくれるんだけれど、やっぱりポニーテールの方が似合うからとすぐにポニーテールに戻ってしまう。
子供心に、ポニーテールだと気が強くなる気がして(現に気が強かったしね)、みつあみの子はおっとりしている気さえしていた。

思春期を過ぎてショートカットにするようになってから、時々無償に髪を伸ばしたくなった。
その時の目標はいつだって、髪を伸ばしてみつあみにする!って事なんだけれど、長い年月をかけて伸ばしても、何故かみつあみにすることは滅多にないのだ。
伸ばすまではジトジトと我慢しながら長い髪を思い描いてるのに、伸ばすと飽きてベリーショートにしてしまうこともあった。

それからみつあみが似合う年頃でもなくなり、髪を伸ばしたい願望が出てくる事はまったくなくなる。
おかげで今の私はしばらくショートカット。

みつあみはそういう、根拠のないしがらみみたいなもの。
特に自分の若い頃のそれを感じるのだ。
そうして、しがらみのためにじっとりと我慢して出来上がるのが、やがてスグに切り落とされるみつあみだった。


9
6月 11

想定外

仕事で工作みたいな作業する機会があるけれど、必ず想定外が次々と起こる。
絵を描いてても、いつもと違う作風にしようとすると想定外が。

想像の中でイメージは膨らみ、ある程度の手順も考えて、あとはやるだけなんだけど、実際はそこからが困難。そう簡単にうまくいくものでもないって実感することが多い。

先日、紙粘土を触ってみた。子供の頃以来かなぁ。
まず、乾燥時間から予想とは違った。
想像よりもずっと遅いし、乾燥に伴ってどんどん縮み、薄い部分は反っていった。
結局つかいものにならなくて失敗。(並んでる姿は惨めでなんだかかわいい…。)

それでも普段の油絵の制作は、唯一、想定外を楽しめる時間なのだ。
絵の具の乾きのままならなさはあるけれど、
想定外を楽しめたり、逆手にとったり、言うこと聞かせる感じもあるし引きずられる感じもあるけど、
それが、素材と馴染んで一体になってる感触なのかなとか。

このページのTOPへ