Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 日常ノ事

日常ノ事


27
8月 13

どこにも属していない

休職中で求職中で、時間はあれどお金がないのでほとんど地元から出ないでいる。無職の時期に一人で過ごしているとだんだんバランスくずれておかしくなるなんてのを人から聞くのだけれど、去年の無職の時も今も、一人で過ごす事はまったく嫌にならない。元々一人が好きだからむしろここから抜け出せなくなりそうで怖いぐらい。

小さい頃から家を行き来する遊び方をしなくて、家に友達が遊びに来る事が滅多になかった。小学校から遠くの学校へ通っていたので、近所の同年代の子達が集まって遊んでいても、見知らぬ子達だったから遠くで眺めていただけで、まったく寂しいと思わなかった。いまだに自分の家には、よっぽど信頼できる人以外は自分からは入れない。電話も嫌いなので、無性に寂しくなって誰かに突然電話するということもない。電話が来ても出ない事の方が多い。

だけど、人が嫌いな訳ではまったくないし、どちらかというと友達も多い方なのだと思う。昔から、どこかのグループに属するというよりは、色んなところに入っていた。中高なんかはたいてい女子グループというのがカッチリ決まっていたけど、属しているグループはあるけど、他にも個々と仲良くしていた。そういう友達付き合いの仕方は卒業後も続いてて、同級生の集まりの時には、自分が個人的に繋がってる友達を連れてきて私を介して皆が再会するみたいな立ち位置のことも多い。たんに連絡がマメな性格だからっていうのもあるのだけど。(これは仕事ではプラスになる部分!)

社会人になってからますます色んな人と出会った。高校までの地元の学校もちょっと偏った学校だったし、上京してから美術系でやっぱり偏っていたから、フリーター時代はそれまでと対極な人たちと働く事が増えた。今でも遊びになると、また違った意味で自分の周りに少ないタイプと関わることもある。(美術家たちはなにしろ制作と制作費のためにおとなしい生活を送っている人がほとんど。それに所謂アソビというものをちょっと冷ややかに眺めている部分もあるのだろうと思う。)

私は一般的に見るとやっぱり美術系の人間だなって思う場面が多いけど、美術の友達が多い方ではないし、美術系の中に入ると少し浮いていたりもする。それでいてFBなんかで同年代のリア充ぶりをみているとそこともちょっと違う。前のバイト先でよく見かけた成り上がりのお金持ちやバリバリ働いて夜はぱーっとお水系のお店で遊ぶ派手な人たちのこともどこかで理解しがたく思ってしまうし、フリーター時代に周りに多かったギャンブル好きや若いうちに結婚出産する人たちとも現実的には噛み合ない部分が多い気もする。

どこの人たちとも仲良くしているのに、でもどこにいても浮いている気がすることがある。その瞬間はどこにも属している(ようだ)けど、本当はどこにも属していない(ような気分になることがある)。皆のことわかってるようで、自分の世界以外は全然わからないのかもしれない。

ま、わからないものをわかる必要なんてないのかもしれないけどね。わからないの前提で、その中でわかり合おうとする作業は必要なのかもなぁと思う。


13
8月 13

また失業しました

2ヶ月程前に昨年の失業についてやっとこのブログに書きました。正確に言うと、あの頃やっと失業について書こうと思えました。仕事中心の生活からふぬけになって、そこから1年近くふぬけたまま過ごして、なんとなく日常が戻ってきたと感じるのに1年近くかかったからでした。

そして今月から、また、失業生活を送っています。前回と違うのは短期間のフリーターだったので雇用保険が出ないということ。これはずいぶんと大きな違いです。失業だと伝えると、中には不景気な世の中についてぼそぼそ言い出す人もいます。実際一人暮らしの売れない画家である私は、働かないと家賃が払えないので笑い事ではないのですが、なんとなくふわふわ過ごしています。(焦るべき状況でありながら!困。)

私は飲食店が好きです。食べることが好きで、食べ物が好きだから。飲食雑誌や料理本も好きだしスーパーで食材を見ることも好きです。接客は好きじゃなかったけど、結果的にずっと接客をしてきたせいでわりとすんなりできるようになっています。先日まで働いていたのは飲食店でした。場所が六本木だったのですが、今までの自分の価値観とは全く違う客層のお店でした。お客観察が好きな私としてはずいぶん思うこともあったけど、色んな意味でかなり勉強になりました。

何の仕事をしても勉強になることばかりだなぁと毎回思います。面接は苦手だしこだわりが無いのでなんとなく受けたとこで受かれば働くということが多いのだけど、それでも結果的にすごく勉強になりますね。それなりに経験も増えていきます。

過去に、お店の立ち上げに関わることやオープングスタッフなどしたことはあったのですが、お店の閉店を見届けるのは今回が初めてで、不思議な気持ちでした。味はとても評判がよく常連さんがついているお店だったので、閉店の話を聞いてえらく残念がってくれたり、なんとか時間を作って最後に来てくれたり、美味しかったということを伝えるためだけに名前も言わずに電話をかけてくるお客様もいました。当初ギスギスした雰囲気だった職場も、後半はメンバーも入れ替わり皆仲良くて楽しい職場でした。

ひとまずお盆が終わったら、新しい仕事を探そうと思います。皆も新しい仕事頑張ってね。


5
8月 13

優しさについて無知

私にとっての浪人時代は楽しかったことも多かったけれどもやっぱり暗黒の時代だった。油絵科は特に多浪が多いので自分だけが多浪ということでもなかったけれど、描いた絵にわかりやすく点数がつく世界でもないので(実際入試では点数つくようですが)土壇場の大逆転もあるし、まさかという人が受かることもあるし、ある一定以上のレベルに達していれば受かっても落ちてもおかしくないような世界で、私は混乱しっぱなしだった。

思春期みたいな年頃に絵でやっていこうとする自意識過剰な人間が、入試でばんばん落とされることに相当屈辱なのは勿論。1浪目で比較的いつも褒められながらも入試では全敗した私は、2浪目からまともには予備校に通わなくなった。気分で行ったり行かなかったり半日だけ行ったり小手先でさっさと仕上げて帰ったり、描いても楽しくも苦しくもない。

毎日のように描き終えた絵を並べて行う批評会は褒められても褒められなくても憂鬱で、いつも目立たないよう端の方に作品を置き、褒められたら「どうせここで褒められても本番失敗したら落ちるし」と思うわけだし、褒められなくても「やっぱり」とか思っちゃうし、後半は自分が納得いかない作品になってしまった日にはさっさと後片付けをして批評会と同時に姿を消したりした。卑屈なのではなく、受験の仕組みがとにかく嫌だっただけ。

つまり私は、繊細な(めんどくさい)問題児だった。

大手予備校だったのでクラスが専門学校並みにたくさんあって毎年クラス替えがあった。3浪目になるとずっとかわいがってくれてた(と思い込んでた)先生が違うクラスの担当になったので、なんで私はそっちのクラスじゃないのかとやや責めるようにたずねた。そしたらあっさり、おまえ何で落ちるのかわかんないしめんどくさいんだもんとの答えに、一瞬まっしろになった。でもそこで、ずっと担任だったけど自分のことは全く理解してくれていないと思い込んでいたN先生が私を引き取ってくれたという事も聞かされた。

N先生は、連続して休んでいると時々電話をくれた。けっこうそっけなく必要なことだけを伝えて切れるその電話は、当時の私には業務的なものに感じていたけれど、無理強いしない優しさだったのかもと今なら思う。お昼時にフラっと現れる私にいきなりランチを誘ってくれたり(当時は迷わず断っていたけど、普通は生徒は誘われない)、批評会を受けずにこっそり帰ろうとする私のところへきて帰さないように即すわけでもなく個人的に手身近に批評をしてくれた。

当時の私はこどもだったので、そういう大人をちょっとバカにしていた。仕事だと思って必要なことだけさらっとこなしているような気がしたから。とてもひょうひょうとした大人にみえていた。今になって、あれはむしろ気遣いや優しさだったのかと思う。

先日N先生の退職パーティーがあったけど、自分の個展のオープニングと重なっていく事ができなかった。本当はお礼を言いたかったんだけどね。
私は多浪しないで大学に入っていたら、たぶん今は絵を続けていなかったと思う。

人生うまくできている。


5
8月 13

偏っています

若い頃は今よりももっとずっと拒絶してしまうモノやコトが多くてこの先ワタシ生きていけるのかなーと思うような潔癖さがあった。そんな私も歳と共に色んなものを(むしろけっこう)受け入れられるようになり、ある程度の距離を保ちながらも案外広い人付き合いが出来るようにもなった。(と、思う。)

それでもまだまだ自分の知らない偏った世界があって、それが自分のそれと違う時に拒絶に近い反発をしてしまう自分がいる。

○○を当然してきた人と、○○があるのを知っていたけどそんなもん一部の人間のもので普通はしないでしょ?という認識で生きてきた私と、そうなると必然的に自分の周りにはしない人が圧倒的に多かったりして、○○を当然してきた人というのが別世界の話に感じてしまう。
そうして、当然してきた人と自分の世界との違和感が受け入れ困難な気がして拒絶してしまったりする。

この話をしていたときに、知人がすごくわかりやすい例えをしてくれた。例えば、ゲーセン感覚で○○をする人にゲームをしないし全く興味もない人がいるんだという説明をするのは難しいことで、たぶん、いやいや部屋では休日にゲームするけどゲーセンまでは行かないよとか、通勤時にスマホでゲームする程度だよとか、ゲームが凄く好きな訳じゃなくてなんとなくゲーセン誘われたから時間つぶしにとか、そういう話も出てきたりして、時間つぶしにすらゲームを選ばないぐらいゲームしない人がいるという事を伝えるのって難しいんだ、という話で。

例えば新しい職場で好みの話になって、映画も音楽もたくさん好きなものがある私だけど、世の中の所謂売れ線とはまったくかぶらないので、○○は好き?と聞かれるたびに前否定になってしまって、結局じゃあノジマさんは何がすきなの?普段何してるの?なんてこと言われたりするわけだけど、私からするとそういう売れ線のものだけの世界にいる人も偏ってて、でも私も同じぐらいに偏ってるってことなんだろうなということなんだけど。

つまり、○○を当然する世界にいる人も当然しないと思っている私も、どっちが多いからどっちが本当なんだとかの比率はどうあれ、結局同じように偏ってるということなのかなと。その偏りを完全に許容できなくてもその状況をまずは認めながら相手と話ができるほどの許容範囲をもちたいなあ、というのが今のところの結論!

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12
7月 13

第一印象と違うの?

昔からずっと頻繁に感じていることで、人に対して抱く第一印象が最終的に1番正しいのではないかというのがあります。(よい意味でも悪い意味でも。)
途中で意外な面や思ったよりも○○かも、、、みたいなことがあって、だんだん第一印象と違うような気がしてきて、人は見た目じゃないとか、第一印象は当てにならないなんて思ったりしちゃっても、結局最後は自分が最初に直感で感じた相手の印象に戻ってくるから不思議です。逆に、最初は苦手と思っててもいいところもあるなーなんて見直して油断していると、結局最初に自分が苦手だと感じていた部分がみえてしまったり。
意外な面の方につい反応しちゃうのから、最初の印象と違うところがあると強く感じてしまうだけで、実は見た目に(その見た目から自分を通して受け取る印象に)だいたいの情報は現れているのかもしれません。

恋愛においても、一目惚れで結婚した夫婦は別れにくい(なぜか男性からの一目惚れの場合)という話を聞いたこともあります。
自分の目を通して自分が直感的に得る情報ってけっこう当てにしていいんじゃないかと思っています。むしろなんとなく自信がない時に、直感よりもよけいな理屈で考えようとしちゃうのかもしれません。

というのが、、、印象と中身が違うとよく言われる私の言い分です。

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