Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 日常ノ事

日常ノ事


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12月 13

言われる側の心得

人と会うとか、作品を作って発表するとか、そういう行動が増えるほど必ずといって批判的な事を言われるのはつきものだ。私には所謂勝ち組のようなわかりやすい成功の要素が全然ないし、人見知りしたり外見の印象と中身がわりと違うので、色んな人や場所によって本当に色んな事を言われる方だと思う。ひょうひょうとして見えるのか、天然でニブイように見えるのか、そんな困った奴に厳しく教えてやろうというニュアンスで攻められることもある。(そういう時にはあまり反抗できなくて後からいっぱいああいえば良かった!っていうのが出てきちゃうのが悔しい。。)

あまり人に意見を求める方でもないので色々言われても最終的には気にしないのだけど、それでも嫌な言われ方をすると凹んだりはする。(そりゃそうだ!)
第三者の意見が勉強になるなと思うのは、内容どうこうよりも、そういう考え方の人がいるということや、こういう印象を持たれる場合があるんだということ知れることだったりする。内容に関してはなるべく影響は受けたくないというのもあるけれど、自分がずっとやってきたことに対していきなり批判的意見を受けて、そんなものでアッサリ考えが変わったらそれこそなんの芯もなく今まで生きてきたってことでしょう。そこは冷静でいたい。

他人だからこその客観的な意見はあるだろうけど、そういうものが増えてきて混乱したらどこを信用して拾っていくかは難しい。それでも自分をよく知っている人や今まで関わった人の意見の方が入ってきやすいのは当然だし、今まで一緒に働いてきた人達から信用してもらえたり、展示をずっと見てくれてた人が応援してくれたり、付き合いの長い友人達が変わらず会いたがって連絡くれたり、そういうこれまでの積み重ねで出来上がった関係をたくさん持てていることには自信を持っていたい。
挫けることは多いけど、みんなに愛されてるなーとか恵まれてるなーとか思うことも多いのです。皆さん、いつもありがとう。

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11月 13

忙しいきがする

以前ここにも書いたけど、帳尻合わせな考え方が好きではない。不幸な分いつか幸せになるとか、苦労したら報われるとか、そういう思考が損得感情のような気がしてしまって気持ちが悪いのだ。ずっと不運な人もいるだろうし、なんかよくわかんないけどそれなりに恵まれたままなんとなく大きな苦労もせずに一生過ごす人もいるでしょう。
それでも帳尻合わせざるを得ないというシチュエーションもある。
最近なんだか忙しい。失業期間のつけが周ってきただけなんだけれど、気づいたらいくつものことを平行してやらなきゃいけない状態で色々仕事を抱えてしまった。我ながら色々うまくないなーと思う。
あんなに暇でニートみたいな期間もあったのに、その分のしわ寄せがちゃんとやって来るものなのですね。。そう、帳尻合わせ思考は嫌いだけど、しわ寄せってのはリアルに当たり前にやって来る。
そんなしわ寄せで最近とても忙しい。私にしては珍しく、都心にもほとんど出ていないし、人にもあまり会っていない。
そんな中、今週はアートフェアで台湾へ行ってきます。全然支度もできていなくてバタバタしているけど、いい印象しかなかった台湾に年内にもう一度行けるなんて嬉しい!


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10月 13

超夜型人間

私は完全な夜型。朝は弱いけど、働いていると滅多に遅刻もないし朝はダルくても職場に着くとしっかり目が覚める。だけど休みになると1日で朝夜が逆転する。失業期間中は何をしても夜は眠れなくて、朝寝て夜起きる生活になってしまう。

今は日中バイトをして夜中は部屋で別の仕事をしている。働きながらだと絵を描くのも仕事を終えてからの夜中が多くなる。東京に出てきて何度か引っ越したもののずっとワンルームに住んでいる。真夜中のワンルームというのは、外部から切り離された孤立した小さな世界みたいに感じる。夜の中に浮かぶ船みたいにどこにも接していなくて、黒い海をプカプカ浮かぶ蛍光灯でこうこうとした部屋。時々それは自分の頭の中の風景ではないかと錯覚するのだけど、それが自分が活動している時の、真夜中の時間のイメージ。

私が原色っぽい鮮やかな色彩で描くようになったのは、元々はそんな真夜中の蛍光灯の部屋のイメージからだった。パースの少し狂ったビビッドな色面の角が入る構図が多かったのは、その真夜中のワンルームの部屋の隅っこのつもりで描いていた。そこから少しずつイメージは変化し、今ではそこまで夜中の部屋の片隅は意識していない。それでも不透明でビビッドな色面には、夜のようなユルいジェル状の空気の意識がある。自分の絵を飾って欲しいのは寝室や枕元だと思いながら描くことも多いのだけど、なんとなくいつも夜の世界の中にいるからなのだと思う。

先日絵を買ってくれた友達に飾っている部屋の写真を送ってもらった。夜の部屋に、金魚鉢とたくさんの本とひっそりそこに在る自分の作品。その友達の頭の中の世界に、自分の絵が入り込んだように錯覚しそうな不思議な光景だと思った。

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24
10月 13

滞っています

とにかく頭の中にあるものをメールやSNSやブログで言葉にしないと気が済まない性格なのだけど、それがあまりできなくなるのは結構本当に忙しいか本当に精神的に元気がないかのどちらかだったりする。今は忙しい。

失業してから仕事が欲しいと思っている時にはそんなにすぐに仕事があるわけでもないと言ってた方たちから、今月になって仕事が集まってきて、完全なる失業期間せいでお金がないので来るもの拒まずなるべく仕事は受ける、ということをしていると気づいたらいっぱいになっている。フリーターというのもけっこう忙しいのですよ。

そうなると絵を描きたくても描けない。単純に時間や体力の問題もあるけれど、なにより気持ちが絵を描く気持ちになりにくくなってしまう。これは仕事と制作の両立をするときに誰もがぶつかる問題でもあるけど、気持ちの置き場所があまりに違うのです。それでも私は案外それが今までは出来てきていたはずなんだけど、それを超えて忙しいという状況もある。いつになったらここから抜け出せるのかなあ。。

溜まる洗濯物、時間をみつけて洗濯をして、洗ったら干して、干したら乾くのを待って、乾いたものを畳んで仕舞って、それをまた着て、それらがまた溜まって溜まったのを慌てて洗う。洗濯なんて当たり前なことだし、こういうのって生きてる限り抜け出せない毎日のプロセスだけど、あーまた洗濯しなきゃって思うたびに毎日がいかに早いか、退屈で面倒な洗濯作業をするたびにこのままこの感じがいつまで続くのかって思い巡らせてたちまち焦りまくったりします。

さて、そんな中、アトリエ展があります。ここでも以前書いたけど私は今年アトリエを手放して、別の共同アトリエに倉庫使用として仲間入りさせてもらっていて、そこのアトリエがオープンスペースをするとのことで、せっかくなので展示には参加させてもらいました。アトリエに置いてある過去作品を集めてなんとなくノープランで展示したのだけど、脈絡がない展示の仕方もコラージュしてるみたいでなかなか楽しい。

おしゃれなフライヤーもできています。ちょっと離れた場所ですがご興味ある方、お近くにお越しの方、是非のぞいてみてください。

【オープンスペースー ATLIER SHOWER PARTY】

10/26(16:00-21:00),27(13:00-20:00),28(13:00-20:00)
11/1(16:00-21:00),2(13:00-20:00),3(13:00-20:00),4(13:00-20:00),8(16:00-21:00),9(13:00-20:00),10(13:00-21:00)
※26日18:00〜オープニングパーティーとライブ有り。

武蔵村山市残堀1-113(残堀工場C棟2F-6)
●バスその1
JR昭島駅北口より バス「昭23系統:イオンモール行き」「昭24系統:箱根崎行き」
西武新宿線「西武立川駅」経由「コトブキ村山工場入口」下車
●バスその2
西武新宿線「玉川上水駅」よりバス「玉12-1系統:インモール行き」イオンモール下車
●バスその3JR立川駅北口より 立川バス1番のり場:イオンモール行き「イオンモール」下車

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9月 13

自由と、空っぽの箱

みんな不自由そうに生きてるように見える。それにひきかえ自分は自由だなと思う。
私には守るものが何もない。心配するのは自分のことだけでいい。孤独と自由はセットだと気づいたのは、震災の時だった。私には心配するべき家族や子供も、抱えている会社や社員もいない、真っ先に心配して確認を取らなければいけない人も事もない、ということにあの時初めて気がついた。いい捉え方をするなら、気楽な立場、ということだ。

不自由そうにしている皆が望む自由とは、いったなんなんだろう。
私が考える自由とは、PC本体のようなもの。PCは今の私にとって必要不可欠なものではあるけれど、そこには頻繁に使用するソフトが入っていて、ネットが繋がる環境だからであって、ソフトも入っておらずネットも繋がらないPCは、まったく意味を成さない。可能性の塊ではあるけれど、そのものだけでは空っぽの箱でしかない。つまり自由にも何かオプションがついて初めて魅力的で意味を持つ自由というものになるのだろうなーと。

毎日残業でいくら働いても低所得者層から抜け出せなかった頃と比べたら、定職にもつかず時間だけはある現在は、金銭的な面はそんなに変わらないけど、自由度が違う、はずだった。行きたかったライブや映画、残業後だといつも混んでて入れない飲食店にも自由に行けると思っていたのに、実際は同じくらい行けていないのが現状。決定的にお金がない(働いていないから当然だ!)からだ。正に、自由だけあっても全然自由じゃなかったという例。

例えば、家事や育児に追われて自由じゃないと感じている人は、家事をしてあげる相手もいなくて、子供もいないような、独り身がいいということでもないような気がする。大事な家族や愛する子供がいて、そこに更に自由がもう少しあればいいなということなのだと思う。その場合の自由はたしかに魅力的な自由だろう。

例えば、風俗やキャバクラで自由に遊びたいという男は、奥さんや恋人という絶対的な大事な存在がいて、且つ自由にそういうお店でも遊べたら、その場合の自由はきっと楽しい自由だろう。恋人や奥さんもいなくて、お金で成り立ってる異性との関係だけではその瞬間楽しくても限界はあるだろうし、自由な開放感も続かないだろうな。クリスマスにはサンタコスプレのキャバ嬢とはしゃいで、バレンタインには水商売の女からたくさん義理チョコもらって、営業として誕生日を覚えてくれてるキャバ嬢にお金払ってお祝いされて、イベントのたびにそんなのがずっと続いてもたぶんいつか虚しくなる。

例えば、仕事があってある程度の給料も保証されて、でもペース配分や時間は自由だという場合の自由は確かに有意義な自由だろう。デザインの仕事などでフリーランスの人が周りにいた時期もあるけど、結局みんな今は会社に入っている。フリーで仕事していても納期は絶対あるわけだし、フリーだから逆に相手側に進行を支配されて土日も休みなく仕事していたフリーランスの知人もいた。結局同じ不自由なら、ある程度管理してもらう方が楽な場合もあるようだ。

今の私は、元々自由な私に無職という状況が加わって、更に自由度が増している。空っぽのPCにとても近い状態だ。

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