Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 日常ノ事

日常ノ事


21
5月 14

何かしなければと思うだけで

ここのところいつも同じ様なうだつの上がらない状況をここに書いている気がする。とりたてて暗い気持ちになるような事が起きているわけでもないけれど何もかもが停滞中な気がしている。バイトは長時間労働でもないし残業がないことも多いけど、特別思い入れがあるわけでもない仕事で一日中立ち仕事をしているとその後に何かしようと思わなくなるし、都心と逆方面で働いているので直帰する事も多く、なにごともなく一日は終わる。楽しいことや良いものや人との出会いもあるし結局自分は幸せだとも思うけど、つかみ所のない毎日。

そんな中で最近は絵を描く事についてよく考える。今までも考えていない訳ではないけれどわりと盲目的に続けてきたし、迷いや止めたい気持ちになっても言い聞かせて迷いを振り払う事以外の選択肢が無かったから強引ではあった。結論から言って絵を描く事は止めないけど、最近は迷えばいいし嫌なら描かなくてもいいし焦る事もないと思えるようになった(たぶん)。と言い聞かせている時点で、やっぱり焦っているのだと思うけど、焦ることほど無意味なことはないというのもわかっている。

もやもやと考えていると答えの様なものが出てきそうななにか引っかかる感覚にはなるんだけど、そこにはまだ辿り着かない。現時点ではっきりしてるのは、私の生活拠点は東京だということ、絵はずっと描きたいということ、そのために生活をしなければいけないということ、それだけ。

先週はまたひとつ歳をとってしまった。今日は料理中に指を切った。時が経つのは早い。

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7
4月 14

生活する

すっかりブログ更新もせず、最近はただ毎日を過ごしています。生活をする、と言ってしまえばなんてことないことだけど、毎日生活を送るだけでもなかなか億劫でもあります。生活、というものがただ起きて食べて労働して寝るだけのことなのか、人によってその感覚は違うのだろうけれど、最近の私は本当にただセイカツヲオクル日々です。ひとことで言えば、退屈です。退屈以外の生活の余白のような部分に費やす時間や労力やお金が少ないと、簡単にすぐにでも退屈はやって来ます。

そんな退屈な生活でも、食べることだけは少しだけ意識をしています。食べる事が好きなのです。ただの食いしん坊なのですが。私と食事をしたことがある人は気づいているだろうけど、私は毎日食事の写真に収めます。時々忘れてしまうこともあるけれど、食べるものの写真を撮る習慣はもう8年程続いています。それは匿名ブログへアップしています。もはやすごい量の食べたものの記録があります。完全に自分のためだけの記録なのだけど、食べたものの記憶でその頃の生活や気持ちが甦ります。

毎晩残業続きでくたびれている時代も、ラーメンにはまってやたらとラーメンを食べ歩いている頃も、誰かと会って楽しかった日も、喧嘩したり心が荒れてたことも、もう二度と会わないであろう人と食べたごはんも、食べたものの写真を見ると思い出してその記憶すべてを愛しく感じるから不思議です。そもそも思い出ってそういうものだけれど、私にとってはその日に自分が選んで食べるもの自体がその時の自分の状況を表している気がして、すごく愛しい気がするのです。そういう気持ちから毎日食べるものを写真に収めるようになったのです。

精神的に調子が悪い日は、何時間も食べるものを決められずにスーパーや飲食店やコンビニをふらふら彷徨う事があります。毎日食べたい気持ちや食べたいものがあって、そして食べ物が当然のように選べて手に入れられる生活があって、こういう当たり前の幸せを退屈という言葉で済ますのは本当は申し訳ないのだけど。この退屈に感じている生活も、いつか食べた物の写真を見返した時に思い出して愛おしくなる日が来るのね。


19
1月 14

幸せとは鈍くなるということ

年末年始はいつもブログで反省や豊富を書いたりするのに、今回はすっかりブログ離れしていました。気づいたらもう今年も半月が過ぎています。相変らず月日の経つのが早過ぎて、ちょっと前の瞬間やずいぶん先のことを考えては、気が重くなります。そして、去年の今頃のできことを、最近はよく思い出してしまいます。

いつだったかふと思ったことなのだけど、無邪気に心配事も無く「幸せ〜♪」みたいな感覚って、鈍くなる事かもなぁと思ったりします。例えば好きなものや人、興味があるものや人に対しては、どうしてもあれやこれや想像して考えていて、想いが強いとそういう想いがふわふわとした妄想止まりではなくリアルな方向にガンガン進んでしまうので悪いことも過ったりして。例えば信じようとする気持ちが強い程に逆に信じられない部分が濃く見えてしまったり、大事だと思う事が大事だと思う程に重くなってきたり。

そうこうしているうちに、きっとそうした強い想いから一歩引いてちょっと鈍く無邪気に何も考えず、いいところだけ見て嫌なことはいっさい想像せず、心地よいことことばかりを反芻する、、、そっちの方が幸福感は得られるのかも?と思うのです。

でもこれって、やっぱり私がひねくれているんだろうか。。。

私の考える幸せは、もうちょっとぶつかってく感じだったり、抵抗感を得られる感じです。辛いけど、疲れるけど、ただゆるゆるふわふわと一見特に問題もなく(感じるような)、一見滞り無く(見えるように)流れていくような、そんなものにはたぶんすぐに飽きてしまうのです。鈍く何も心配せずにただ信じるよりも、心配だらけで辛いけどそれでも信じてみるという感覚の方が、ずっと愛や覚悟を感じます。

歳をとるにつれ、後悔したくないという気持ちも強くなりました。とはいえ私の性格上は相変らず優柔不断な事の方が多いのですが。こんな私が絶対に!と確信を持つ事なんか、人生においてそう何度もあることではないのです。

今年はちょっとだけ優柔不断を優柔決断に持っていきたいなあと、そんな風に考えている年明けです。


1
12月 13

言われる側の心得

人と会うとか、作品を作って発表するとか、そういう行動が増えるほど必ずといって批判的な事を言われるのはつきものだ。私には所謂勝ち組のようなわかりやすい成功の要素が全然ないし、人見知りしたり外見の印象と中身がわりと違うので、色んな人や場所によって本当に色んな事を言われる方だと思う。ひょうひょうとして見えるのか、天然でニブイように見えるのか、そんな困った奴に厳しく教えてやろうというニュアンスで攻められることもある。(そういう時にはあまり反抗できなくて後からいっぱいああいえば良かった!っていうのが出てきちゃうのが悔しい。。)

あまり人に意見を求める方でもないので色々言われても最終的には気にしないのだけど、それでも嫌な言われ方をすると凹んだりはする。(そりゃそうだ!)
第三者の意見が勉強になるなと思うのは、内容どうこうよりも、そういう考え方の人がいるということや、こういう印象を持たれる場合があるんだということ知れることだったりする。内容に関してはなるべく影響は受けたくないというのもあるけれど、自分がずっとやってきたことに対していきなり批判的意見を受けて、そんなものでアッサリ考えが変わったらそれこそなんの芯もなく今まで生きてきたってことでしょう。そこは冷静でいたい。

他人だからこその客観的な意見はあるだろうけど、そういうものが増えてきて混乱したらどこを信用して拾っていくかは難しい。それでも自分をよく知っている人や今まで関わった人の意見の方が入ってきやすいのは当然だし、今まで一緒に働いてきた人達から信用してもらえたり、展示をずっと見てくれてた人が応援してくれたり、付き合いの長い友人達が変わらず会いたがって連絡くれたり、そういうこれまでの積み重ねで出来上がった関係をたくさん持てていることには自信を持っていたい。
挫けることは多いけど、みんなに愛されてるなーとか恵まれてるなーとか思うことも多いのです。皆さん、いつもありがとう。

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4
11月 13

忙しいきがする

以前ここにも書いたけど、帳尻合わせな考え方が好きではない。不幸な分いつか幸せになるとか、苦労したら報われるとか、そういう思考が損得感情のような気がしてしまって気持ちが悪いのだ。ずっと不運な人もいるだろうし、なんかよくわかんないけどそれなりに恵まれたままなんとなく大きな苦労もせずに一生過ごす人もいるでしょう。
それでも帳尻合わせざるを得ないというシチュエーションもある。
最近なんだか忙しい。失業期間のつけが周ってきただけなんだけれど、気づいたらいくつものことを平行してやらなきゃいけない状態で色々仕事を抱えてしまった。我ながら色々うまくないなーと思う。
あんなに暇でニートみたいな期間もあったのに、その分のしわ寄せがちゃんとやって来るものなのですね。。そう、帳尻合わせ思考は嫌いだけど、しわ寄せってのはリアルに当たり前にやって来る。
そんなしわ寄せで最近とても忙しい。私にしては珍しく、都心にもほとんど出ていないし、人にもあまり会っていない。
そんな中、今週はアートフェアで台湾へ行ってきます。全然支度もできていなくてバタバタしているけど、いい印象しかなかった台湾に年内にもう一度行けるなんて嬉しい!

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