Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 日常ノ事

日常ノ事


6
6月 20

表現と日常

あー日常の強さたるや!と私は度々言っている。
それはいろんな場面で思うのだけど、最初に強く感じたのは震災の時。ずっと揺れているような感覚やそれまで見えなかった世の中の嫌な部分が見えてしまって一日中もやもやそわそわと過ごしているつもりでも、どうでもいいような小さなストレスに負けてしまったりたかが10円高い自販機に引っかかったりそういう「日常」の強さに自分の中の繊細さが負けた時になんとも言えない悔しい気持ちと諦めとで、あー結局は日常の強さ!!って叫びたくなるのだった。

普段から絵を描くことでは生活ができない私は1日の大半が労働時間で、繁忙期には通勤時間も長いので半日以上家にいない。帰っても寝るだけみたいな生活の中でもなんとか絵を描く時間と体力を絞り出してぐいっと作品の中に入り込み、そのうち作品の内面で浸りながら気持ち良く描ける時間が訪れる。休日にはそういう時間が多くなるのでそうしていると明日から仕事なんて無理だ、、、と完全に現実から遠いところへ来てしまった気持ちになるんだけど、それでも朝起きると無心で淡々と支度をして満員電車に乗って仕事へ向かう。職場に着けば目の前のことを片っ端からこなしていくことや次々とやって来るストレスでつい数時間前の夢のような時間のことは薄らいでしまう。あー日常の強さって!

そうして今、コロナ感染症のせいでもうずーっと仕事のことも健康のこともすべてに不安で過ごしているはずなのに、同時進行で毎日「毎日」がやって来て「日常」に覆われていくんだもん。仕事の時間を短縮したところで接客をすれば嫌なお客さんも来るしPCを使えば突然フリーズするし、予定外の問題も出てくるし、そうやって意図せず日常に手も足も取られて身動きもできなくなっていく。

それでも絵を描くときには、拘束を強引に解いて無理やり日常を脱ぎ捨てて個の世界に入り込んでいく。表現と日常を繰り返しながら同時進行で進んで行くことが私にとって強さになればいいとも思っている。


21
4月 20

自粛と自由のあいだ

皆さんはお元気でしょうか。
最近、数年前に突然亡くなった友達が夢に出てきたり、しばらく会ってもいない人のことを思い出したり。そうしてふと「みんなは元気なの?」と思うことで人と繋がっているような気がする。これでいいのだと思う。

もともと浅く広く人付き合いをする方だけど一人が好きだし引きこもってするような趣味ばかりだし一人で絵を描く時間が好きだし、近年はずっと職場も家もひとりだけど不自由は感じない。

自粛生活が始まって普段あまり引きこもらない人や人恋しい人は私が想像するよりも精神的に辛いのだろうなと想像する。でも、最初に書いた「ふと思い出す」ことは表面だけの人付き合いや困ったときだけ自分都合で振り回す人との「人付き合い的なもの」よりもずっと身近に感じたりする。

亡くなった友達のことは思い出しても仕方ないのかもしれないけど、「忘れてしまうこと」と「思い出さないこと」は別なので。時々思い出すと心の中で話しかける。もちろん今だと「今、大変なことになっているよ」と。「あなたならどうしている?」と。その答えが聞こえてきそうな時に、(その人は亡くなっているけど)繋がっているんだと思う。それでいいのだと思う。

自粛生活で自由な時間が多くなったはずなのに自由がないと感じる。だけど、自由にはいつも自由にさせてくれない何かがつきもので、結局目の前をちらつく自由を羨ましく眺めながらも何かに縛られて生きていく方がフツーなのではないかなとも。いろんなことを気に留めて苛立ちを感じ振り回されて生きていくことは、やっぱりどうしても続くのだった。


10
10月 17

あなたってなに?

自己紹介が苦手。それは多分、いつも私には「私(仮)」という意識がついているからだろうなと気づいたのは数年前。

その頃は実際に無職期間中で「(仮)」な状況だったので、自己紹介する場に出るたびもやもやしていた。

先日仕事先の常連さんに「あなたってなんなの?」と唐突に聞かれて「うーん、、、なんでしょうね」と答えた。恐らくわかりやすく言えば「画家(仮)」でデザインの仕事もするので「デザイナー(仮)」と言ってもいいかもしれないし、お店に立ってるから「接客業(仮)」みたいなものだとも言える。
この人、ホントのところなにやってる人なんだろう?と思われることは時々あるみたいだけど、自分でも確定しないままいつも頭の上に「(仮)」を乗っけて暮らしている。

昔からよく「○○さんの奥さん」とか「○○のお母さん」言われるのが嫌で、私は私よ!みたいな主婦の嘆きも聞くけど、未婚なのでそれすら無い。
デザイナーと言っても、素人なのになんとなくフリーで知人に頼まれたデザインしてお金もらって「フリーランスのデザイナーです!」って言えちゃう人もいるし、1度や2度勢いでグループ展でもやれば「アーティストです!」ってなっちゃうので、その流れでいけば「アーティスト」で「デザイナー」でもある。

また他の常連さんからは「○○はここでやってるの?」と聞かれて「もちろん!私は○○屋ですよ!」と答えたら、あなたは○○屋というより芸術家だと思っていたので…なんて言われてしまったり。

私から「(仮)」が取れる日は来るのか。


18
5月 16

さいきん近頃もろもろ徒然

長らく書かずにおりました。
私は相変らず。書かず(描かず)にも生きていけるのだからしかたがない。

ためておいてもしょうがないので、最近の(思った)ことなどサックリ書いてみようかと。
【交差点について(引っ越しのことと。)】「交差点は哲学だ」と、大学の授業で教授が言ったのを時々思い出す。授業を必要単位以上に受けていたけど、進んで聞きにいきたい授業はほとんどなくて、それは数少ない好きな授業のひとつだった。いつものことながら言葉の印象は覚えているのに内容なんか忘れてる私。なんで交差点が哲学だったのか。

最近10数年ぶりに引っ越しをした。徒歩1分以内の近所で、交差点のあっち3件目からこっち2件目の物件へ近距離引越し。交差点を渡っただけで色々な事が変わる。1分程度のはずなのに駅がぐっと近づいた(気がする)。狭い部屋での暮らしが当然だったけど、少し広くなっただけで驚くほど日常がスムーズになった。アトリエを借りられない時期(むしろほとんどそう)はその狭いワンルームの中で制作をしていたけど、もちろん制作スペースも確保した。多少の無理をしていてもそれに気づかなければそれは「普通」であって、私の場合はいつも環境が変わってからやっとそれまで少し無理をしていたことに気づくのだ。環境って大事ですねという話し。

ちなみにこの交差点、私が引っ越してきた頃はまだずっと交差点になりそうなまま放置されていた工事途中の道路だったのが、この数年で川向こうへ向かう大きな橋に繋がる交差点になった。同じ道のはずなのに、交差点が出来上がってからの方が、月がきれいに見える(気がする)。

【反・断捨離(引っ越しのことの続きでもある。)】さて、10数年ぶりの引っ越しとなると、荷物の整理がそれはもう大変で。そういう話しをすると「自分がいかに無駄なものばかり溜めて暮らしていたかがわかるよね」なんてことを意味深げに言われたりする訳だけど、近年の断捨離ブームが嫌だな、とひねくれ者の私は片付けているうちに徐々に思い始めたわけです。

無駄なものも勿論あるけど、無用だけど自分がとっておきたかった(筈の)モノを捨てていくことって寂しいよ。本当に用途があって必要なものばかりあれば満たされるのだろうかと。で、気づいたら、なるべく捨てない方へとシフトしていました。いつか誰かに「これこれ見て見て」と、自分でも何故かわからず集めてしまったどうでもいい(けどとっておきたかった)モノたちを見せる時が来るかもしれないし、自分でも忘れた過去の自分の執着に再会するのもいいし。スタイリッシュでモノの少ない部屋をお披露目するのもいいのだろうけどね〜

 

そんな感じで私はやっぱり元気です!
今年は、11月に久しぶりの個展を予定しています。


4
9月 15

折り合いをつける

基本は変わらないにしても、社会に出てから私自身はある意味すごく変わったと思う。30歳過ぎた頃からはずいぶん楽になっているような気がする。

生活していくことは「折り合いをつける」ということだと思ったりする。身の回りの同年代の女性なんかでなんとなく辛そうにみえる人はたいていそこがうまくいっていない。いやもちろん、私なんかよりも世の中的に成功してたり普通に働いてるような方々なのだけど、それでもなんだか苦しそうで、そういう人を見ながら自分と比較してみたりするわけだけど。

折り合いをつけることがうまくいかない人は苦しいだろうと思う。私もうまくいかないときや苦しい時はそこの部分で詰まってる。

無駄に自分を過信しすぎたり理想ばかり追ったり、他人や環境ばかりに不満を持ってばかりいると「折り合い」はなかなか付かない。じゃあ色々なことを諦めればいいのか?ということでもない。「折り合いをつける」ことを私は消極的な意味ではとらえてはいなくて、例えば妥協や残り物でガマン的なことではなくて、もっとずっと前向きな意味合いで考えている。

スルスルとうまく逃げたり長いものに巻かれて行くようなことではなくて(これもひとつの方法だけどね。)、ぶつかったり悩んで考えたり実際にやってみたりして前向きな妥協点を(見つけ出すというよりも)生み出すことだと思うのです。それは中和された地点に辿り着くことではなくて、そういった「折り合いをつける」作業で自分の良さや悪さと外的なものの要素が混ざって何か新しいものが生まれているのでは?と。

そういうことの繰り返しで螺旋状に上昇していっていくのが、真っ直ぐ上にポンと進むよりもいいなと思ったりしています。

最近友人のバンドが新譜を出した。バンドができたての頃から知っていて、失業中は関西ライブツアーにもついて行ったりもしたのだけど、彼らが公私共に色んな折り合いをつけることを繰り返して現状ここに今いるという感じがしてすごくいいアルバムだなと思いました。

■馬喰町バンド https://youtu.be/igTvCKrJSZY
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