Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 好きなモノやコト

好きなモノやコト


19
9月 15

いつまでも、ワタシ

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先週、NYのアートフェアAffordable Art Fair に2点作品を出しました。今回はお金と時間の関係で現地にいけなかったのが残念。
http://affordableartfair.com/newyork/

昨年末からずっと仕事で制作活動から遠のいていたので、
これを機に描く生活が始まって久しぶりだったせいか清々しく描けました。
しばらく描かないと腕はすぐに落ちるなんてよく言いますが、私の場合は写実の描写ではないので腕が落ちると言うより勘を取り戻すのに時間がかかるという感じはあります。それでも久しぶりの新鮮さと離れていた分の距離感が生み出す冷静さとがあって、久しぶりに描いた作品のモタツキが私はけっこう好きだったりします。

最近ふと『いつまでも、鰐』という絵本のことを思い出しました。素敵な表紙にジャケ買いした絵本ですが、内容がわりとすごい。(ここからネタバレ。絵本でネタバレに気にする人いないかな?)それでも私の中ではしばらく経っているせいで内容が記憶違いになってしまっていて、蛸は、自ら鰐に足を捧げていたことになっていました。恐らくは蛸の健気さが「奉仕」という方向へ間違えた記憶になっていたのだと思うけど。。
淡淡とした内容の中に何か教訓を探そうとはするものの、そこにあるのは事実のみ。酷いことしているのだろうけど鰐は別に悪くない気もしちゃうし、全部仕方ないけど切なくもないし、それでも蛸はさいごまで幸せだったのかもと思ってしまう。

いつまでも鰐でい続ける鰐はそれで幸せなのか?と考えちゃうけど、たぶんこの鰐にとってはそんなこともどうでもいいのだろうな。


18
2月 14

自分の顔がきらい

何かがしばらく滞っていたり怠っていると、そこから動くのって継続している時よりもずっと大きな力が必要になったりやや長目の助走が必要になるもの。気持ちだけがいくらあっても腰が重い。このブログも書く時期は立て続けに考えている事を文章にまとめたくなるのに、間があくと必要性すら感じなくなる。
人との関係もそうで、ちょっと連絡を怠っていたり言いにくい事があると先延ばしにして面倒くさくなって、そのまま関係性まで自然消滅する場合もある。私はマメなのと物事ハッキリしたい方なので人(特に自分にとって大事な人)との関係はフェイドアウトさせることはないのだけど、それでも日々忙しいとそうもいかなくなるのは仕方ないような寂しいような。

なんて、色々と言っているけど何を言いたいのかというと、絵を描かずに数ヶ月経っている。働いたり生活が慌ただしくなると今までもこの程度は絵を描かない時期があったのだけど、それを防ぐためにも毎年個展をいれてきた。だけども今年は、個展もいれていない。

さてどうしよう。そろそろドカンと個展をやりたい気持ちがある一方で、近年八方塞がりの日常のせいなのか、ちょっと落ち着いて気になってる事をやってみようとも思っている。気になっている事、それは描写をすること。浪人時代は元々描写が好きでわりとモノを見て形を描いていたのだけど、それをしなくなってもうずいぶん経ってしまった。

私は自分の顔が好きではなかった。なんでこんな目なんだろう、鼻なんだろう、眉毛なんだろうって鏡をみるたびに思ってたけど、大人になるにつれ、慣れて自分の顔を受け入れるようになった。いまだに写真を撮られるのが嫌いでカメラを見る事もできない。
顔の特徴が薄いので人から覚えてもらいにくく、制服を着るバイトをしていると親しい人でさえ私服姿の私には気づかない。それでいて人と会うと誰かに似ていると言われる顔で、しょっちゅう誰々に似ていると言われる。写真と実物の印象も違うらしい。

つまるところ、つかみどころのない顔なのだろうと思う。頻繁に似ていると言われる女優さんがいるのだけど、全く似ていない!と言ってくる人もいる。たぶん、似ているという人による解釈の違いって、骨格で見る、表面的なパーツの形で見る、パーツの配置で見る、全体の雰囲気、服装や髪型から認識する、等の違いによるものだと思う。

つかみどころのない私の顔も、近年はすっかり「眼鏡+ショートカット」というアイコンによって、わりと人から認識されるようになった。記号化された私の顔は、その記号が無くなった時に何が残るのだろう?

自分の顔が嫌いなせいか、自画像が嫌いだった。自分の顔が全然自分でもつかめないのだ。描いても描いても、自分の顔が定まらない。自分の画風から考えたら描写とはいえそんなに似せる必要ないのだろうけど、つかみどころがないものを描くのはすごく気持ちが悪い。

それでも、最近久々に重い腰を上げて描こうと思ったのはなぜか自画像だった。たぶん、自分と向き合う時期なのだろうと思う。


10
9月 13

料理ができなそう、とよく言われます

私はよく、料理できなそうだよね〜と言われます。あと、自転車乗れなそうとか(笑)。いったいどういう印象を与えているのか私。。。

以前ここのブログでも書いたけど、第一印象っていうのは(例え遠回りや横道それても)たいてい当たってると思うわけですが、それは性格的なところやイメージであって、仕事ぶりや能力的な出来る出来ないはまた別なんじゃないかと(思いたい)。

私は料理もするし、自転車にも乗れます。運動は得意な方だったし、料理も好き。カフェ勤務時代は、キッチン業務をとりまとめてたし、お店の作業しながらまかないも作っていました。雰囲気でトロく見られがちだけど、すごいセッカチなので仕事は要領よくさっさと片付けたいし、料理もとにかく手際よくしたい。

料理は、その人の性格や仕事ぶりがよくでると思っています。得意な人は、勘がよく仕事の覚えも早かったりそつなくこなせる人が多いような気がするし、不器用な人や空気読むのが苦手だったり鈍い人は、同じものを作っても要領悪いし盛りつけ汚いし、思い込みの強い人も味に対して客観性がないので向いていない人が多いですね。仕事でやってると色々見えます。

私は料理が好きだけど得意だとは思っていません。ただ、食べる事が好きで外食も好きだし、料理本や飲食店情報誌に目を通す事が多いので、情報や経験と、このセッカチな性格でなんとかそこそこは料理できるとのだと思います。

そんなわけで先日、知人のイベントに誘っていただいて、フードを担当しました。元々持っていたレシピを少し改良したものと、新たにトルコ料理を2品。トルコ料理はたまたま持っていた本2冊とネット情報とで試作してレシピをおおまかに決めて、材料集めにあたっての手間や原価で最終的にメニューを決めるという流れ。こういうの久々だったので楽しかったけど、やっぱり1人だと大変だと実感しました。仕事でパーティー料理やケータリングなどやってた頃、いつも周りで手伝ってくれていた皆に今更感謝の気持ちです。

実は料理本ってあてにならないところもあったりして(ネットは更に)、そもそも料理って実際作ってみて出てくる問題もけっこうあるし、予測するにも経験が頼りになる。ほんと難しいです。それでも無職だったおかげで準備に時間をかけられて、なんとか好評に終わりました。すごくいい機会になりました!皆様どうもありがとう。

 

↓試作段階でボツったトルコ料理2品。どちらも美味しくて簡単だったけど環境的に提供が難しかったので断念しました。トルコ風スクランブルエッグとミートパイ。パイは専用の生地が一般のお店では売っていなかったので春巻きの皮で代用しました。ちなみに器も好きで集めているのですが、好きな器を使うと盛りつけに気を遣うのでいいですよ〜。

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7
9月 13

ブルーハーツ世代

絵を描くときは色んな音楽を聴く。基本なんでも聴くので、クラシックのときもあればテクノ、ロックやレゲエやヒップホップや歌謡曲、近年大好きな昭和歌謡を聴く事もある。(たまに音が形になって押し寄せる時には無音にする。)

私は音楽が大好きだった。若い頃は、本当は才能があるならば絵よりも音楽をやりたかったけど、基本的に練習することが嫌いなので、楽器が全然うまくならいおかげでミュージシャンを目指さずにすんだけど。

小さい頃はピアノもエレクトーンも習って、小学校低学年の時に担任がドラム好きで教室にセットが置いてあり、ドラムや和太鼓の授業もあった。ドラムはずいぶん褒められて、全校音楽会では皆が合唱する中でひとりドラムセットを叩かせてもらっていたので、私のクラスだけは伴奏がピアノと私のドラムだったりした。なんとなく色んな習い事をしていたけど、自分から積極的に主張したのはドラムを習いたいとうことだけだった。なのに、当時の校内暴力時代の「不良」たちのイメージの中にバンドがあったため、人一倍厳しかった我が家では当然そんな主張が通る筈もなく…
あの時にドラム習っていたら人生変わっていたかな?と今でも想像はするけど、勘だけで生きてるタイプの練習嫌いの私には、きっと向いていなかったのだろうとも思う。高校祝いにアコースティックギターを買ってもらったり、大学に入ってからもこっそりベースの練習をしたけれど、本当に向いていなかった。バンドのボーカルに誘われた事もあったけど、とにかく10代の頃はひねくれすぎていて、そういう目立ったことは一切さけていたので当然のごとく断っていた。1人で勝手に自分の世界にひたれる絵描きがやっぱり向いているんだろうな。。

音楽をやる側にはなれなくても、大学時代は特にライブにはよくでかけた。実家にいる頃は家が厳しくてライブにもなかなか行けなかったので、大学時代はお金が無くてもゴハンを我慢してライブにでかけて、食費を節約してのライブ痩せをしていた時期もある。

中学ぐらいからは、人と仲良くなる時には「ブルーハーツが好き」という共通点で始まることが多かった。ブルーハーツを特別好きというよりも、あの頃バンド好きだった人は必ずブルーハーツを通っているとも言える。それにしてもブルーハーツというのは特別だった。あの年頃にブルーハーツの音楽に出会えたというのは、どれほど特別なことだったか。

ツイッターでブルーハーツbotをフォローしていると夜中に呟きが減った時間にやたらとブルーハーツの歌詞がTL上に上がってきて、いまでもその歌詞にきゅんきゅんする事がある。だけど当時10代の頃のその気持ちとはまた違ってて、少しだけ大人になった今の自分にとって違う解釈や気持ちでも引っかかる歌詞だから、やっぱりブルーハーツはすごいんだよね。若い頃の思いと、今の自分が見えてる(当時と違う)世界が、いい感じに混ざり合う。そして、あの頃の気持ちも絶対に忘れちゃいけないなとも思ったりする。

他にもブルーハーツと同じぐらいに友達になりやすいのは「ブランキージェットシティが好き」というのかな。高校時代に進学校に通っていて居心地の悪さを感じて過ごしていた私にとって、地元のローカルなCD屋さんの視聴コーナーで聴いたブランキーの「悪い人たち」のインパクトはいまでも忘れない。いまでも飲み会で出会う人と、ブランキー好きなの!?みたいな盛り上がりはある。

勿論成長することは当然大事だし、その年代にあった価値観を持つことも絶対に必要だと思っている一方で、あの頃の感覚は絶対に忘れてはいけないとも思っている。そう思わされるのは、思春期の頃にブルーハーツやブランキーの音楽に出合ったおかげと思ったりする。今でもコンバースのスニーカーは捨てられないしドクターマーチンの靴を履く。たぶんこのままコンバースやドクターマーチン履きながら年老いていくんだなぁ私は。

 http://www.youtube.com/watch?v=d7yQHNntX4I

http://www.youtube.com/watch?v=DAdQNnIcn0k


11
8月 13

記録癖とか言語化とか

いつからだったかずいぶん前から個展の際にテキストを作成するようにしている。たぶん、作品タイトルが褒められるようになってからその延長で始まったのだと思う。元々わかりにくい作風なので、そこに抽象的で詩的なタイトルをつけて、更に抽象的なテキストを付けて、私本人は真面目に説明しているつもりでむしろ説明しすぎてしまったかなんて思っていると、どうやら余計にわかりにくくしてるようだ。

それでも、嬉しいこととも言いにくいけど、最近は絵よりもテキストを褒められることが実は多い。テキストの方をうまく作品化できないかとも考えたりもするようになった。

言葉が好きなんだと思う。だけど、なんでもかちっと文章化してまとめるには頭がおいつかない。昔は考えすぎて動けなくなることもあったりしたけど、考えても頭がいいわけでもないので答えが出る訳じゃないから、それによって動きが鈍るのは無駄だと思っている。

 

ただ、感情を言葉にしたい。なので感情的になる出来事があったらメールを作る。女特有の長文メールというやつなのかもと思うけど、私にとっては思考をまとめるのは言語化がいちばんいい。そのまま送らないメールもたくさんある。何日もかけて作るメールもある。ブログをたくさんやっていた頃も、日々の溜まって行く出来事や感情を記録していくことで、自分の中の感情を客観的に自分なりに分析して整理がついた。ネットを日常的にするようになる前は、メモ帳に感情をメモしていた。それが絵画作品になっているから、テキストや作品タイトルがつくのは必然なのかもしれない。

 

ツイッターでも文章を書く仕事をしている人や考えるのが仕事の有名人って、忙しそうなのに呟きが多い。たぶん、言語化して出すのが自然なことなんだと思う。私もその瞬間の思っていることを短く言語化してボタっと勝手に落としていくだけのツイッターはむいている。(だけど調子の悪い日は、ツイートが形になって飛び交ってるモノに見えてきて混乱する日もある。)ツイッターを始めてからは複数やっていたブログも更新しなくなった。唯一続いているのは食べたものブログ。記録癖があって、見た夢とか、見た映画とか、食べたものとか、そういうものをなんとなくとっておきたいのだけなんだけど。

感情を言語化するのも、私にとっては記録癖に含まれてる気もする。その時の感情を形にして出してとっておきたいのだ。

文章にすると、自分の感情に対して客観的になれる。自分にイイワケしなくなる。だって自分にイイワケなんかしてたら後から読んで恥ずかしくなるし。ツイッターもブログは匿名にしてるから、人目を気にしないぶん素直でいられる。というわけで、ここは実名でやってるブログなので、無意識でもそれなりに人目を気にして書いているわけだ。

 

 

 

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