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公開イイワケ

私はネット中心の生活をしている。SNSも好きで用途に合わせて使い分けをしてどれも楽しんではいるけど、Facebookでは時々気になる投稿もあったりして苦手なものが混ざってくる。

それでも距離を置いて眺めていると発見もあったりするもんで。(嫌いなものほど気づくことは多かったりするもの。)Facebookで感じる私のモヤモヤの原因は、FB特有の架空ぶりでも過剰ぶりでもなく、SNSを利用して甘える人たちだと思った。

FBでは自分を正当化する言い訳風の書き込みを時々見かける。簡単に言うと、ちょっとさぼってしまったりうまくいかないときに「自分はがんばっている」し、「だけどうまくいかないこともある」し、「自分の不足な部分を自覚している」し、「なんとか改善したいと思っている」し、「まだまだがんばるぞ!(やる気に満ちている自分)」というような内容で、自分の不手際で迷惑をかけてしまっている人がSNS上にいてその文章を読まれることを前提に書いているのがなんとなく見え透いている。つまり公開イイワケなのではないだろうかと。
そういう人はそれで満たされるとその書き込みはたいてい削除するので、タイムラインを見るとうまくいったことだけが並んでいる。

モヤモヤしながらも怖いもの見たさでつい読んでしまうんだけど、それに対して乗っかる人たちというのもまたいる。
上記のような公開イイワケに対して頑張ってるの見ててわかるよ!という慰めや「こうこうしたらもっとよくなるよ」等の助言など、そういう(空虚な)頑張るぞ発言を見守ってる姿勢で元気な若者を応援しているみたいな立ち位置の大人というのも一定数いるのだった。(どうせそのコメントも投稿ごと削除されてしまうわけだけど)

公開イイワケはそんな味方がどんどこ乗っかってくるので甘えやすいだろうし、自分が直接被害を被っていない限りは応援して甘やかす方もそれなりに気持ちが良さそうで、毎回うまいこと成り立って感心するぐらい。私は、投稿したものを頻繁に削除していく人はあまり信用ができないんだけどね。

それでもこうやって人の嫌な部分がチラ見えするので結局SNSはおもしろいと思ってしまう。

6 comments

  1. 人の甘えが嫌い=人の弱さが嫌い=自分の弱さが嫌い=強く在りたい=弱さ 

    強がる人間は特に弱い 思考が閉鎖的な分甘えつつ生きてる人より質悪い

  2. あ さん。
    弱さを魅力にできたり、甘え方の才能がある人は羨ましいです。
    私は自分に余裕がないので、甘えられる側としての才能もありません。

  3. 甘えられる人は羨ましい。私は甘えたくても甘えられないし甘えられるのも嫌って事なのですかね。女子大生みたい。
    一番甘えを拗らせてるのはあなたかと思われます。

    • 自分が甘えるのは苦手で甘えられるのも苦手というのはむしろ矛盾なく一貫してると思います。でもそれを質が悪いとか拗らせてると思う人もいるのかもしれませんね。
      甘えや弱さにも種類があるので、甘え方の才能があるのは羨ましいとは思いますが、私の場合はSNSで見かけるような人に迷惑をかけてから味方が多い場で言い訳をするようなやり方は苦手だということをここでは書きました。

  4. ん?誰も矛盾してるとは言ってないですが、拗らせてるとは思いました。後悔言い訳をしてる人もそれにいちいち突っかかってる器の小さいあなたも大して変わらんのでは?と思いました。
    あと甘え方の才能ってなんですかね?まず人の言動を甘えって簡単な言葉で判断する大雑把な神経がご自身の不寛容さに繋がってるのでは?

    • あ さん。いつも面白いコメントありがとうございます。最初から気になっていたのですが「甘え」という言葉が恐らく私の言いたいことから遠ざけているようですね。
      今回書きたかったことは、実際人に迷惑をかけた人がSNSを利用して味方が多い場面で言い訳をする違和感、そこに事情を知らない第三者が加わり更にその言い訳を正当化したり慰める等で盛り上げる仕組みを何度も見かけた(自分も被ったこともあるので)ことを元に書きました。迷惑を受けた人はそのやりとり全部が不快でしょうから。それをお互いSNSを利用して甘えているように感じたので「甘え」という言葉を使ったのですが、あさんがしきりに言われている「甘え」と少しニュアンスが違うようなので。完全に言葉の選び間違えというか私の文章力がないせいなので、、、すみません。

      このブログ1つで、見知らぬ私のことを、弱い人間、思考が閉鎖的、拗らせてる、器が小さい、大雑把な神経、不寛容、と具体的に否定的な印象をもたれたのはすごく興味深いです。なかなか他人に対してそこまで断定的に人格否定をしないとも思いますので、そういうコメントが付くことは面白いと思っています。
      拗らせ具合はここでも自分で何度も書いてますし、ここではこの先も拗らせてひねくれた自分の観点で書くと思います。不思議なことに、拗らせて捻くれているのを面白いと興味を持つ人もいるようです。
      そして、この拗れやひねくれは作品のテーマの一つでもあります。

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