Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2014 > 10月

10月, 2014


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10月 14

真夜中過ぎのタイムライン

私はネットが好きだしSNSも日常的に利用している。ネットが苦手だとか批判している人の言い分もわからないわけではないけれど、そういうのって一周回って逆にネット依存の人と同じような拘りを感じることもある。確かに時々SNSの無責任な情報や発言に溺れそうになるような煩わしさもあるんだけど、使い方によって便利なのは確かだし、なければないで生きていけるし、どちらでもいい。
対人に関してはネットと実物の印象が違うということはあれど、コミュニケーションとしての通じやすさや通じにくさは実際会っている時と基本は変わらない気がする。実際に会っててコミュニケーション取りにくい人はネットでも噛み合わなかったり、ネットで一方的な人は会ってもそういう節がある。
私には思考を言語化して出すという作業が日常的に必要なので、一方的に言葉を出せるTwitterはけっこう好きなのだけれど、相手の反応が欲しい人には一喜一憂して心地悪さもあるのかも。

真夜中になると、ネット上ですら過疎になる。そんな時間帯の赤裸々な呟きは、車も人もいない道路の真ん中で大声で叫んでるような気分に近い。こんな時間だし、どうせ誰も聞いていやしないと思うと、王様の耳はロバの耳!みたいなもんでいつも以上に変な呟きを発してしまう。
私は夜型なので、自分と同じように真夜中過ぎのネット過疎タイムに頻繁に呟く人を見つけると安心する。
ネットとはいえそれなりに人間性が出ているもので、知らない人にもだんだん感情移入したり、知人のような気持ちになって眺めてしまう。

そんな真夜中過ぎにTwitter上で頻繁に見かける、知人ではないけれど知人のような感覚で眺めていた人。先日、その人が亡くなったことを知った。勿論Twitter上で知らされた。
最後の呟きが最高にくだらないのが、その人らしかった。そしてその1つ前には、体調が良くないことの呟き。遡って読んでみると頻繁に体調の悪さや夜中遅くまで仕事をしていることが今更だけどよくわかる。
そして彼の亡くなった情報が流れた日は、親しいと思われる知人が彼の呟きで彼らしさのある呟きを拾ってリツイートしていた。もう存在しない人のはずが、一日中タイムラインにポツポツ現れるのですごく不思議な気分になった。
ある日を境にそのまま動かなくなるタイムラインと、今はいないはずの人の気配。Twitterを始めてから、時々こういう形で知らない人の死を知らされることが増えた。

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7
10月 14

いつも救ってくれてありがとう

私にとっての制作は、どんどん溜まるモヤモヤの消化不良を起こさないためで、社会的な何かとか美術史的な要素は実はあまり気にしていない。制作活動をするにあたってそういう要素が大事なのは知っているけど、自分にとっての制作は、細かいことに一喜一憂し、くだらないことにいちいち憂鬱になり、人一倍捻くれて歪んだ自分がこの社会に適合するためのリハビリみたいなものなので仕方がない。
絵を描いていれば、そういう自分の面倒な部分を愛することもできるし、鈍感にヘラヘラ楽しそうに生きてる人たちよりもよっぽど幸せだと思えたりもする。
今年は全然制作ができていなくて、時々消化不良を起こして鬱屈とする瞬間が増えている。そういう時はとにかく眠るに限る。昔みたいにお酒に逃げる事もなくなって睡眠で解消できるなんてずいぶん健康だなとも思うけど、大人になってどんどん鈍くなってるのかなあとも思う。

最近バイト先が異動になって環境が変わった。どこでも、いいところもあれば嫌なこともある。今の勤務先は嫌な意味の孤独感を感じる時間が増えた。前のお店では色々あっても周りに親切な人がいて、実はすごく助けられてたと思う。嫌な事があっても隣のお店の人が愚痴を聞いてくれて、愚痴を聞いてくれた後にたいてい凹んでる私にお菓子をくれた。普段あまり甘いものを食べない私も、そういう時のお菓子の甘さはくさくさした心を救ってくれた。本人はたいしたことではないと思っている事でも、他人にとってはすごい救いになったりする事もある。そういう時の救われた気持ちを、他の人や違う形でも返していきたいものだけど、自分のことで精一杯な私にはなかなかできない。

今は職場で辛くなると、自分のために自分で甘いものを買ってから休憩室へ向かっている。

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↑ネットでの拾いものナノダ。

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