Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2014 > 8月

8月, 2014


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8月 14

NYと宝くじとユメと現実

3年前、グループ展参加のためNYへ行った。NYへの憧れが特に強いわけでもなかったけど、一度は行ってみたかったし、現地のアートシーンにも触れてみたかった。NYの街は、ヨーロッパの古い街並みや美しい風景だったりアジアの独特の雰囲気や熱気のような異国情緒的な感動はなかったけど、とにかくヒトが面白い。ここにいたら自分も何か大きな事ができるんじゃないか?と勘違いしたくなるようなワクワク感というか、ヒトの持つパワーに街中が溢れていた。
個人的には、思った以上に英語が通じなくて、英語なら多少わかるだろうという思い込みがあるせいなのかガックリ。帰ったらまず英語の勉強を頑張ろうと意気込んで帰国した。

そんなNY気分の抜けないまま、旅行明け出勤初日。いつもと違う改札口から出て地下通路を歩いて会社へ向かう途中、なぜか宝くじ売り場に目が止まった。小さな箱状の販売員が1人で座っている形のお店。なんの理由かわからないしNY帰りの勢いが関係ある気はしないけれど、その瞬間、この小さな箱状の宝くじ売り場で働くことが自分の天職なのでは?という直感みたいなものが走った。今でも、なぜあの瞬間にそう感じたのかはわからないし、実際調べてみると時給が合わないし、どれだけの人気がある(ない?)バイトなのか見当もつかない。それでもあの小さな空間で1人ぼっち、夢のような(時には人の人生を狂わせるような)紙切れを淡々と売るだけの日々が自分には合ってるような気がした。可笑しいんだけど、私が売ればたくさん当たりが出るのでは?みたいな根拠のない自信とか。なんだったのだろう、あの感じ。

さて、それから3日ほどですっかり旅行気分も抜けていつもの生活が戻ってきた。そこで、震災が起きた。あの日から色んな事が変わって、英語を頑張ろうとか宝くじ屋のバイトが天職だみたいな呑気な気持ちはすっかりどこかに消えていたのだけど、最近その宝くじ売り場のことをふと思い出した。

あの震災がなければ、私は今頃英語が得意になってて、毎日淡々と1人で宝くじを売っていたのだろうか?自分の売り場から当たりをたくさん出しては他人の人生を静かに狂わせていたのか?
先日、久しぶりにしりあがり寿のあの日からのマンガをぱらぱら見ていたら、震災時の感覚が自分の中で思いのほか古い記憶になっていて驚いた。意識の中にしっかり置いてあるつもりだったけど、時間は確実に流れている。あの日の震災が、夢みたいに曖昧で位置の無い記憶になりそうで怖いと改めて思った。

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