Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2014 > 6月

6月, 2014


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6月 14

折り返して死に近づいたのか

人に貸そうと思って貸しそびれた漫画をなんとなくパラパラ見ながら、今まで読んでなかった最後の解説に初めて目を通した。この漫画自体が「死」にまつわる内容なので解説も「死」についてのものだった。文中で36歳の誕生日にふと人生折り返した気がしたということが書かれていたけれど、私も近年そういう感覚がある。あーあ折り返しちゃったという名残惜しさと同時に、まだまだ半分もあるのかっていう面倒くさいような気持ちと。

30代になってから若い頃のしがらみや自意識が薄まって大人になるのもいいなぁなんてのんきに思っていたものの、30代半ばを超えた辺りから自分に関してはほとんどもう答えが出てしまっているのかもしれないという焦りや、ここからは何かを吸収するよりも今まで自分がやってきたことを整理していくぐらいしかできないのかもという気持ちから「折り返した」という実感が突然わき出した。

私が「死」について意識し出したのは保育園に通ってる年頃からで、その感覚ははっきり覚えている。漠然としてはいたけど恐がりなのもありスグに死ぬかもと過ってしまう子供時代と思春期だった。気が強いのにうたれ弱いのですぐに死に逃げようとする。かといって具体的に自殺云々というわけでもなくて、苦しくなるとなんとなくあーもう死ぬしかないのかって思っちゃうだけなんだけど、結局は生きるか死ぬかの二択しかないんだという思いがずっとあった。好きなミュージシャンやテレビに出ている有名人が若くして死ぬたびに、この人が死んだのに自分は生きてしまっているということに息苦しくなったりもした。

そうして35歳になる年に震災が起きた。年齢的に折り返すという感覚と、更に現実的に生死について身近に感じる出来事が重なって、それまでの「死」に対する湿った恐怖みたいなものがストンと落ちて、もっと乾いた「死」の気配がやって来た。それは、死が怖いものだと思うと同時に、皆いつか必ず死ぬという当然のことを当然受け入れるしかないという諦めというか覚悟みたいなもの。近頃は親しくなった相手に対して、この人もいつか死ぬんだと真っ先に思うようになった。

近年のこの感覚は「死」に近づいたというよりも「生」を意識しだしたというのに近い気がする。なんかうまく言えないけど、人生折り返してこのまま「死」に向かっているのだろうという確信と共に、でも今ワタシ生きてるのよねっていう「生」への実感が以前より強くなったような。そして、自分にとって大事だと思える相手が今生きてて私の目の前にいるっていう当たり前の状態に甘えちゃいけないなぁとか、自分にとって大事なことをおざなりにしたり後回しにすることは今生きてる自分に失礼だよなとか、とにかく大事だと自分が確信持って思えるものに対してはなるべく丁寧でいたいと思うようになった。

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