Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2014 > 2月

2月, 2014


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2月 14

自分の顔がきらい

何かがしばらく滞っていたり怠っていると、そこから動くのって継続している時よりもずっと大きな力が必要になったりやや長目の助走が必要になるもの。気持ちだけがいくらあっても腰が重い。このブログも書く時期は立て続けに考えている事を文章にまとめたくなるのに、間があくと必要性すら感じなくなる。
人との関係もそうで、ちょっと連絡を怠っていたり言いにくい事があると先延ばしにして面倒くさくなって、そのまま関係性まで自然消滅する場合もある。私はマメなのと物事ハッキリしたい方なので人(特に自分にとって大事な人)との関係はフェイドアウトさせることはないのだけど、それでも日々忙しいとそうもいかなくなるのは仕方ないような寂しいような。

なんて、色々と言っているけど何を言いたいのかというと、絵を描かずに数ヶ月経っている。働いたり生活が慌ただしくなると今までもこの程度は絵を描かない時期があったのだけど、それを防ぐためにも毎年個展をいれてきた。だけども今年は、個展もいれていない。

さてどうしよう。そろそろドカンと個展をやりたい気持ちがある一方で、近年八方塞がりの日常のせいなのか、ちょっと落ち着いて気になってる事をやってみようとも思っている。気になっている事、それは描写をすること。浪人時代は元々描写が好きでわりとモノを見て形を描いていたのだけど、それをしなくなってもうずいぶん経ってしまった。

私は自分の顔が好きではなかった。なんでこんな目なんだろう、鼻なんだろう、眉毛なんだろうって鏡をみるたびに思ってたけど、大人になるにつれ、慣れて自分の顔を受け入れるようになった。いまだに写真を撮られるのが嫌いでカメラを見る事もできない。
顔の特徴が薄いので人から覚えてもらいにくく、制服を着るバイトをしていると親しい人でさえ私服姿の私には気づかない。それでいて人と会うと誰かに似ていると言われる顔で、しょっちゅう誰々に似ていると言われる。写真と実物の印象も違うらしい。

つまるところ、つかみどころのない顔なのだろうと思う。頻繁に似ていると言われる女優さんがいるのだけど、全く似ていない!と言ってくる人もいる。たぶん、似ているという人による解釈の違いって、骨格で見る、表面的なパーツの形で見る、パーツの配置で見る、全体の雰囲気、服装や髪型から認識する、等の違いによるものだと思う。

つかみどころのない私の顔も、近年はすっかり「眼鏡+ショートカット」というアイコンによって、わりと人から認識されるようになった。記号化された私の顔は、その記号が無くなった時に何が残るのだろう?

自分の顔が嫌いなせいか、自画像が嫌いだった。自分の顔が全然自分でもつかめないのだ。描いても描いても、自分の顔が定まらない。自分の画風から考えたら描写とはいえそんなに似せる必要ないのだろうけど、つかみどころがないものを描くのはすごく気持ちが悪い。

それでも、最近久々に重い腰を上げて描こうと思ったのはなぜか自画像だった。たぶん、自分と向き合う時期なのだろうと思う。

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