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優しさについて無知

私にとっての浪人時代は楽しかったことも多かったけれどもやっぱり暗黒の時代だった。油絵科は特に多浪が多いので自分だけが多浪ということでもなかったけれど、描いた絵にわかりやすく点数がつく世界でもないので(実際入試では点数つくようですが)土壇場の大逆転もあるし、まさかという人が受かることもあるし、ある一定以上のレベルに達していれば受かっても落ちてもおかしくないような世界で、私は混乱しっぱなしだった。

思春期みたいな年頃に絵でやっていこうとする自意識過剰な人間が、入試でばんばん落とされることに相当屈辱なのは勿論。1浪目で比較的いつも褒められながらも入試では全敗した私は、2浪目からまともには予備校に通わなくなった。気分で行ったり行かなかったり半日だけ行ったり小手先でさっさと仕上げて帰ったり、描いても楽しくも苦しくもない。

毎日のように描き終えた絵を並べて行う批評会は褒められても褒められなくても憂鬱で、いつも目立たないよう端の方に作品を置き、褒められたら「どうせここで褒められても本番失敗したら落ちるし」と思うわけだし、褒められなくても「やっぱり」とか思っちゃうし、後半は自分が納得いかない作品になってしまった日にはさっさと後片付けをして批評会と同時に姿を消したりした。卑屈なのではなく、受験の仕組みがとにかく嫌だっただけ。

つまり私は、繊細な(めんどくさい)問題児だった。

大手予備校だったのでクラスが専門学校並みにたくさんあって毎年クラス替えがあった。3浪目になるとずっとかわいがってくれてた(と思い込んでた)先生が違うクラスの担当になったので、なんで私はそっちのクラスじゃないのかとやや責めるようにたずねた。そしたらあっさり、おまえ何で落ちるのかわかんないしめんどくさいんだもんとの答えに、一瞬まっしろになった。でもそこで、ずっと担任だったけど自分のことは全く理解してくれていないと思い込んでいたN先生が私を引き取ってくれたという事も聞かされた。

N先生は、連続して休んでいると時々電話をくれた。けっこうそっけなく必要なことだけを伝えて切れるその電話は、当時の私には業務的なものに感じていたけれど、無理強いしない優しさだったのかもと今なら思う。お昼時にフラっと現れる私にいきなりランチを誘ってくれたり(当時は迷わず断っていたけど、普通は生徒は誘われない)、批評会を受けずにこっそり帰ろうとする私のところへきて帰さないように即すわけでもなく個人的に手身近に批評をしてくれた。

当時の私はこどもだったので、そういう大人をちょっとバカにしていた。仕事だと思って必要なことだけさらっとこなしているような気がしたから。とてもひょうひょうとした大人にみえていた。今になって、あれはむしろ気遣いや優しさだったのかと思う。

先日N先生の退職パーティーがあったけど、自分の個展のオープニングと重なっていく事ができなかった。本当はお礼を言いたかったんだけどね。
私は多浪しないで大学に入っていたら、たぶん今は絵を続けていなかったと思う。

人生うまくできている。

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