Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2013 > 8月

8月, 2013


30
8月 13

作品を買う

絵を見る事があっても、買う事が無い人は多いと思う。

私は父が美術品をよく買う人だったし、それを飾ることを楽しみにしていたので、小さな頃から身近に絵や焼きものがあった。一点だけ父の趣味ではない絵が飾ってあったのは、母が若い頃に絵のモデルをしていたらしく、その画家さんからもらった作品だった。(実はその作品けっこう好き。横向きに入った女性の姿は母だろうか?)時々浪人時代にたまった作品を実家に送ると、父が気に入ったものを好きに額装して飾っていたりと、我が実家はとにかく日常的に絵が飾ってある家だった。(共働きで家には人がほとんどいないし、決してこじゃれたりこぎれいな家でもないけど。)

私も今、狭いワンルームで窮屈な生活をしながらも絵を飾っている。自分の作品やもらったものや買ったもの。貧乏絵描きだけど、本当に欲しいもので2万円以下の作品は買うようにしている。交渉して分割にしてもらって細々と支払いながらが多いけど。季節やインテリアに合わせて掛け変えたりするのもいいけれど、そういう雰囲気の部屋でもないので今のところはごちゃごちゃとあちこちに並べている。

美術品を買った時の気持ちってなんだか特別だ。洋服を買った時とも電化製品を買った時とも違うんだよね。こればかりは買ってみないとわからないと思うんだけど、とにかく豊かなものを手に入れた気分というか。一点ものだからとか、実用じゃないものだからとか、作った人の想いが詰まってるからとか、理由は色々あるんだろうけど、もっとなんだか違う。気に入って買ったものは何年経っても何度見てもいいなぁと見入ってしまうし、それが自分のいる空間にあるだけで幸福感もある。年数を重ねるごとに自分とどんどん解け合って一体化していくような感覚さえある。自分の作品も買ってもらった人からそう思われてたらいいなと思うけど。

5月の台湾のアートフェアの時に、知人が作品を買ってくれた。たまたま相当久しぶりに再会して、今こんな風に台湾で話してるのが不思議だよねえなんて言いながらずいぶん長くお喋りして、翌日は作品を見にきてくれてその場で買ってくれた。まさか買ってくれるなんて思っていなかったから驚いたけど嬉しかった。それからすぐ飾ってある写真を見たら、なんだか泣きそうになってしまった。他人の日常に自分の作品があるってこんな感じなのかぁと、自分のために描いてるような私の自意識過剰な絵が、チビッコのおもちゃと当たり前に並んでる風景に、なんて言うのか初めて居場所を見つけた気がした。

この前の個展でも昔の同級生が絵を買ってくれた。買った時には、もう飾る場所は決まっていてそれが金魚の水槽そばだと聞いて、また嬉しくなった。人の日常に、人の大切なものやその人の好きなものの中に、自分の作品が馴染んでいくのって幸せなことだなと思った。

 

blog_cha


27
8月 13

どこにも属していない

休職中で求職中で、時間はあれどお金がないのでほとんど地元から出ないでいる。無職の時期に一人で過ごしているとだんだんバランスくずれておかしくなるなんてのを人から聞くのだけれど、去年の無職の時も今も、一人で過ごす事はまったく嫌にならない。元々一人が好きだからむしろここから抜け出せなくなりそうで怖いぐらい。

小さい頃から家を行き来する遊び方をしなくて、家に友達が遊びに来る事が滅多になかった。小学校から遠くの学校へ通っていたので、近所の同年代の子達が集まって遊んでいても、見知らぬ子達だったから遠くで眺めていただけで、まったく寂しいと思わなかった。いまだに自分の家には、よっぽど信頼できる人以外は自分からは入れない。電話も嫌いなので、無性に寂しくなって誰かに突然電話するということもない。電話が来ても出ない事の方が多い。

だけど、人が嫌いな訳ではまったくないし、どちらかというと友達も多い方なのだと思う。昔から、どこかのグループに属するというよりは、色んなところに入っていた。中高なんかはたいてい女子グループというのがカッチリ決まっていたけど、属しているグループはあるけど、他にも個々と仲良くしていた。そういう友達付き合いの仕方は卒業後も続いてて、同級生の集まりの時には、自分が個人的に繋がってる友達を連れてきて私を介して皆が再会するみたいな立ち位置のことも多い。たんに連絡がマメな性格だからっていうのもあるのだけど。(これは仕事ではプラスになる部分!)

社会人になってからますます色んな人と出会った。高校までの地元の学校もちょっと偏った学校だったし、上京してから美術系でやっぱり偏っていたから、フリーター時代はそれまでと対極な人たちと働く事が増えた。今でも遊びになると、また違った意味で自分の周りに少ないタイプと関わることもある。(美術家たちはなにしろ制作と制作費のためにおとなしい生活を送っている人がほとんど。それに所謂アソビというものをちょっと冷ややかに眺めている部分もあるのだろうと思う。)

私は一般的に見るとやっぱり美術系の人間だなって思う場面が多いけど、美術の友達が多い方ではないし、美術系の中に入ると少し浮いていたりもする。それでいてFBなんかで同年代のリア充ぶりをみているとそこともちょっと違う。前のバイト先でよく見かけた成り上がりのお金持ちやバリバリ働いて夜はぱーっとお水系のお店で遊ぶ派手な人たちのこともどこかで理解しがたく思ってしまうし、フリーター時代に周りに多かったギャンブル好きや若いうちに結婚出産する人たちとも現実的には噛み合ない部分が多い気もする。

どこの人たちとも仲良くしているのに、でもどこにいても浮いている気がすることがある。その瞬間はどこにも属している(ようだ)けど、本当はどこにも属していない(ような気分になることがある)。皆のことわかってるようで、自分の世界以外は全然わからないのかもしれない。

ま、わからないものをわかる必要なんてないのかもしれないけどね。わからないの前提で、その中でわかり合おうとする作業は必要なのかもなぁと思う。


16
8月 13

蚤の市はじまりました

失業中だというのになんとなく毎日忙しいので、気づいたら告知もおいつかず、、
本日金曜日から3日間、六本木ヒルズでアート蚤の市2に作品を出品しています。

http://www.kiriku.net/project/event

暑さやあれこれですっかり気持ちも体も弱って、よく食べるのが取り柄の私も珍しく食欲不振気味。それにしても、いつまでたっても東京の暑さには慣れない道産子体質です。

この蚤の市、雑貨やアクセサリーがわりと多く占めているイベントなので、ふらっと立ち寄る感じでも楽しめると思います。個人的には、だいすきな草間彌生さんの水玉ガーデンというのが近くにあって、そこの水玉カキ氷が気になっています〜

今回も小さなブースでの出品ですが、先日の個展の流れから絵画の他に紙粘土ドローイングも作りました。たまたまこの前の展示では粘土が全部売れたので、今回の粘土は新作です。子供が作るような気持ちでゆるゆると軽いドローイングのような力加減で作っています。
お近くにお越しの際には気軽にお立ち寄りください!

草間さんの水玉ガーデン!

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13
8月 13

また失業しました

2ヶ月程前に昨年の失業についてやっとこのブログに書きました。正確に言うと、あの頃やっと失業について書こうと思えました。仕事中心の生活からふぬけになって、そこから1年近くふぬけたまま過ごして、なんとなく日常が戻ってきたと感じるのに1年近くかかったからでした。

そして今月から、また、失業生活を送っています。前回と違うのは短期間のフリーターだったので雇用保険が出ないということ。これはずいぶんと大きな違いです。失業だと伝えると、中には不景気な世の中についてぼそぼそ言い出す人もいます。実際一人暮らしの売れない画家である私は、働かないと家賃が払えないので笑い事ではないのですが、なんとなくふわふわ過ごしています。(焦るべき状況でありながら!困。)

私は飲食店が好きです。食べることが好きで、食べ物が好きだから。飲食雑誌や料理本も好きだしスーパーで食材を見ることも好きです。接客は好きじゃなかったけど、結果的にずっと接客をしてきたせいでわりとすんなりできるようになっています。先日まで働いていたのは飲食店でした。場所が六本木だったのですが、今までの自分の価値観とは全く違う客層のお店でした。お客観察が好きな私としてはずいぶん思うこともあったけど、色んな意味でかなり勉強になりました。

何の仕事をしても勉強になることばかりだなぁと毎回思います。面接は苦手だしこだわりが無いのでなんとなく受けたとこで受かれば働くということが多いのだけど、それでも結果的にすごく勉強になりますね。それなりに経験も増えていきます。

過去に、お店の立ち上げに関わることやオープングスタッフなどしたことはあったのですが、お店の閉店を見届けるのは今回が初めてで、不思議な気持ちでした。味はとても評判がよく常連さんがついているお店だったので、閉店の話を聞いてえらく残念がってくれたり、なんとか時間を作って最後に来てくれたり、美味しかったということを伝えるためだけに名前も言わずに電話をかけてくるお客様もいました。当初ギスギスした雰囲気だった職場も、後半はメンバーも入れ替わり皆仲良くて楽しい職場でした。

ひとまずお盆が終わったら、新しい仕事を探そうと思います。皆も新しい仕事頑張ってね。


11
8月 13

記録癖とか言語化とか

いつからだったかずいぶん前から個展の際にテキストを作成するようにしている。たぶん、作品タイトルが褒められるようになってからその延長で始まったのだと思う。元々わかりにくい作風なので、そこに抽象的で詩的なタイトルをつけて、更に抽象的なテキストを付けて、私本人は真面目に説明しているつもりでむしろ説明しすぎてしまったかなんて思っていると、どうやら余計にわかりにくくしてるようだ。

それでも、嬉しいこととも言いにくいけど、最近は絵よりもテキストを褒められることが実は多い。テキストの方をうまく作品化できないかとも考えたりもするようになった。

言葉が好きなんだと思う。だけど、なんでもかちっと文章化してまとめるには頭がおいつかない。昔は考えすぎて動けなくなることもあったりしたけど、考えても頭がいいわけでもないので答えが出る訳じゃないから、それによって動きが鈍るのは無駄だと思っている。

 

ただ、感情を言葉にしたい。なので感情的になる出来事があったらメールを作る。女特有の長文メールというやつなのかもと思うけど、私にとっては思考をまとめるのは言語化がいちばんいい。そのまま送らないメールもたくさんある。何日もかけて作るメールもある。ブログをたくさんやっていた頃も、日々の溜まって行く出来事や感情を記録していくことで、自分の中の感情を客観的に自分なりに分析して整理がついた。ネットを日常的にするようになる前は、メモ帳に感情をメモしていた。それが絵画作品になっているから、テキストや作品タイトルがつくのは必然なのかもしれない。

 

ツイッターでも文章を書く仕事をしている人や考えるのが仕事の有名人って、忙しそうなのに呟きが多い。たぶん、言語化して出すのが自然なことなんだと思う。私もその瞬間の思っていることを短く言語化してボタっと勝手に落としていくだけのツイッターはむいている。(だけど調子の悪い日は、ツイートが形になって飛び交ってるモノに見えてきて混乱する日もある。)ツイッターを始めてからは複数やっていたブログも更新しなくなった。唯一続いているのは食べたものブログ。記録癖があって、見た夢とか、見た映画とか、食べたものとか、そういうものをなんとなくとっておきたいのだけなんだけど。

感情を言語化するのも、私にとっては記録癖に含まれてる気もする。その時の感情を形にして出してとっておきたいのだ。

文章にすると、自分の感情に対して客観的になれる。自分にイイワケしなくなる。だって自分にイイワケなんかしてたら後から読んで恥ずかしくなるし。ツイッターもブログは匿名にしてるから、人目を気にしないぶん素直でいられる。というわけで、ここは実名でやってるブログなので、無意識でもそれなりに人目を気にして書いているわけだ。

 

 

 

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