Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2011

2011


1
3月 11

合う合わない

人が集まると、合うとか合わないとかそういうことになる。
恋人も夫婦も友達も同僚ももちろんそうなんだけど。
その中でも私はいつもたいてい微妙な位置にいて
(と、少なくとも自分ではそう思ってる。)、
お酒を飲むのが好きなせいか男友達も多いし、
女友達からは「あの時期の友達はあなたぐらいしか残っていない。」なんて言われるとこも多いんだけど。
私は分野や趣向で人を選ばない。

どちらかと言うと、イイヒトだけど中途半端な考えよりも、
多少癖があってもその人の中で芯が通ってる感じの方が信頼出来る。
だから表面的な趣向が合わなくても、私自身は気にならないわけです。

結局はタイミングやバランスで、その時に合う人がそこにいて、
その思想が間違えていなければ、きっとその時に必要な人がそこにいるのかなと。
だから人との別れももしかすると、
必要な時期と役割をまっとうして、それに応じて動いてるだけで、次のステップに行く為に訪れるだけなのかもと思う瞬間があるのです。


15
2月 11

例えば階段の話

色んな日常のものがモチーフとして登場するけど、昨年のギャラリイKの個展では階段を何枚か描いた。あのときは抽象的にどこの階段ということも無いようなテキストをつけて展示したけれど、実はあの階段を描き出したきっかけになった階段は実在する。

もう亡くなってしまったけれど、東京のおばあちゃんは中目黒で飲食店をしてた。
その頃は気を遣われるのが悪い気がしちゃってあまり顔を出さなかったけど、もっと甘えてゴハン食べさせてもらいに行っておけばよかったんだけど。それでも時々は気がむくと訪れた。
そして、あの狭い階段を上ぼると、いつもおばあちゃんがいた。

おばあちゃんは大好きだったお店を辞めてから数年で亡くなってしまった。
亡くなった時にはほとんど人に知らせずにいたのに、おばあちゃんのお店のお客さんがたくさん集まって来て、色んな時代のお客さんがその時代の思い出を語ってた。おばあちゃんが大好きだったお店のことが少しだけわかった気がした。

私は、いまだに時々中目黒に行くと、おばあちゃんのお店だったところをのぞきに行く。
行くたびに看板は変わり、扉の様子も違う。それに、いつも扉がしまっていてあの階段が見えない。
そしてその扉の前で、あの階段を想像するのだ。それからその階段を上ればいつものようにエプロン姿のおばあちゃんがいるのではないかと錯覚する。
けれど、同じ場所の同じ階段なのに、その扉の向こうにある階段は「あの階段」ではないのだろうということもわかる。
そう思うと、ぶらぶらと宙ぶらりんの階段が、私の中に生まれた。

これがあの絵のモチーフになった階段の話。
けど「あの階段」は私の中だけにあるわけじゃなくて、あのお店を好きだったお客さん達の中にもぶらぶらと存在するんだろうなと、きっと私と同じく中目黒に行くたびに、あのお店の跡をのぞきに行く人がいるのだろうなと、そう思っている。


10
2月 11

雪の思想

昨夜と今朝と東京にも雪が降ったらしい。
というのも、私が外にいる時間には降っていなかったから私は見ていないから「らしい」なのだ。

東京では2月にたいてい雪が降るし、2月になるとダウンジャケット着た事を後悔するぐらい暖かい日もあったりして、本当に変な気象だと思うんだけど。

上京したての頃、雪が降らないしそんなに寒くならないもんで、冬の境目がわからなくて気持ちが悪かった。秋がだらだら続いてる感じがしたから、そもそも無意味に物悲しい秋が長く感じるなんてつらいに決まってる。
それでもすっかり、それには慣れた気もする。(猛暑と梅雨はまだまだキツイけどね。)

当時は東京で雪が降ると、東京中があたふたするからなんだかザマミロって気分になって、意外に心地よかった。でも最近は、電車が遅延したりで不都合だし、私にとってはやっぱり東京の雪は不似合いで違和感。

雪には思想があると思ってるから。雪になのか、雪国になのか、雪国の人間になのか、ともかく雪には雪の思想がつきもので、だから東京は東京らしい思想があってそれと雪とは不似合いなんだと思う。
けどこれ、私の勝手な印象と解釈。

写真は、今年の年末年始の帰省の際に撮ったもの。今年の冬は、心配になるほど雪が少なかったけどそれでも歩道はこんなに氷が固まってるんだよ。
ここは、おじいちゃんのお見舞いに行く途中の道。
今頃、この道にも、さらに雪につもっているのかな。


30
1月 11

外国はちかい

昨年も参加しましたNYでのグループ展に、今年の3月も参加します。
展示として考えるとグループ展は難しいので、以前はグループ展をさけていましたが、
最近はたまにはこうして知らない方達と展示するのも刺激的で楽しいと思うようになりました。

今回は現地にも行ける事になったので楽しみ!

http://www.artrates.net/ecaj2011.html

私が初めて海外に行ったのはイタリアとドイツの旅でした。
しかもカッセルでのドキュメンタとヴェネチアビエンナーレの2本立てという、今思うとかなりの贅沢なツアー。
浪人が長引いて、普段の授業に追加で夏休みになると毎年同じような講習会を受けることになるんだけど、それを見かねた親が、授業料払って講習会に行くなら気晴らしにそのお金で旅行に行ったらどうかとすすめてくれたのがきっかけ。
多浪の苦しさはそれを見守る親だって同じだと思うのに、あの頃そんな提案してくれた親には本当に感謝です。

実際その旅行は充実したアートの旅だったことと、自分にとって初めての海外だった事もあって、刺激の強いものになりました。
なにより当時の私が1番強く感じたのは、国も時代も違えど、みんな同じようなこと考えながら絵を描いたりものを作ったりしてるんだなーってこと。外国や外国人を自分と別のものと思い込んでたけど、想像以上に近い存在だという事に気づかされて、簡単だけど、人間なんてみんなそんなに変わらないんだと実感したのでした。

英語が苦手なのを克服して、もっと海外に行ってみたい。
と、その前に、最近はこのNYための制作に追われています…。


24
1月 11

例えばアロエの話

私のモチーフはだいたいその辺にある身近な風景やものだったりする。
私には、どうでもいいのに気になるモノやコトやひっかかる出来事が、それはもうたくさんあるわけで、それを作品に落とし込めると思っただけで、ちょっと助かったりする。

前回の個展で新たに現れたモチーフの1つがアロエ。

特に職場やアトリエの周辺で、そこここでアロエばかりを見かけてて、
それがそのうち、マーキングか何かの暗号のように見えてくる。
家の角に置いてある事が多かったり、だいたいは伸び過ぎて葉は妙なカーブを描いてたりで、
それに気づいてしまうと見かけるたびにハッとするようになってきて。

みんな気づいてるよね?と思って身近な人に聞いても、みんなはそんなことまったく気にしてなくて、自分だけがこの秘密に気づいてたのかと思うと、そのモノに感情移入してしまう。

そうやって私はモチーフを選びます。
というか、必然的にモチーフになってるのかもしれません。

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