Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2011 > 12月

12月, 2011


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12月 11

内側にいて外側にいて

 

今年も残すところ2日。いつもの年末がやって来た。
いつものように個展を終えて、いつものように仕事納めして、静かな冬休み。

いつものように、が、いつものようじゃなくなる可能性について日常で想像する事は少ない。
けれど今年は、そういうことを頻繁に想像するようになった。

そんな特別な年にも個展が出来て、色んな人やものや環境や、自分の元気な体や魂に感謝します。

さて、たまには個展や作品の説明を自分なりにしてみようかと思う。
そもそも説明するのって、野暮だなと思ってる。
私の作品は私小説ならぬ私絵画で心象風景みたいなものだから、特に。
自分でも手に負えない”無意識”を制作しながら拾い集めて曖昧なまま形に残している作業なのだ。
だいたい、トラウマをこれがアタシのトラウマです!なんて言えるわけないし、悩みを人に話したい人ばかりではないでしょ。

美術の文脈とか現代社会がどうとか、そういうのが大事なタイプではないけど、
よっぽど広くずっぽり現代社会で生きてるつもりもある。
毎朝通勤電車にゆられて、残業してくたくたでも1人でお酒のんで帰宅して、暇さえあればネットをのぞいて情報収集する。
そんな私がどんなに自分の描く世界は個人的な世界ですから…なんて言っても、完全にゲンダイシャカイの真上にいるわけだから。
だから今の私は今のこの世界とちっとも切り離せない。当たり前だけど。
と、ちょっと話はそれたけど、今回はゆっくり個展の説明をしていこう。

 

まずは展覧会タイトルにもした展示の大きなテーマについて。

誰もが今年を振り返る時に震災と原発のことになると思うけど、私も勿論そうなるわけで、
だけどそれをキッカケに考えるようになったのは自分の位置とかそういうこと。
例えば、人を殺したり自分が殺される夢を見た時に、
刺す感触やピストルで撃たれた瞬間のフワっと脳が浮く感触を、けっこうリアルに体感してるような錯覚をする。
そしてどちらの場合にも「あ、ホントに死ぬんだ。」と瞬間がスロウモーションになってその中で思うの。
次に「自分も殺人の当事者になる可能性があって、実際になってしまってるんだよね?これって。」と冷静に実感する。

私には、起きてしまった事に対して完全に何も出来ない。
倒れたコップの水がこぼれるのをなんとか手でおさえてるような気持ちで、
イキモノみたいに街に覆いかぶさる津波や、骨をむき出しにして煙をあげてるフクイチをただTVで眺めてる。
どういう経緯でここに在るのかわかんない食物をモヤモヤしながらも口にする。

外側にいたつもりの自分がいきなり内側にいる。
カギカッコみたいな括りがついてたり、ポロッとずれたり、そこからダダ漏れしたり、その内側に入ったり外に佇んでたりする。
だけれども同時に、その外側でも自分の生活や自分の悩みは現在進行形で進行するんだよね。
小さなことでくよくよして、仕事やプライベートで失敗したり傷ついたり時にはすごくつまらない涙を流したりもする。
どうでもいいことに怒り狂ったり、大事なメールを何時間もかけて書いたり消したりする。
生活に追われて時間やお金についてうじうじ悩んで、缶コーヒー買うにも¥120と¥100で真剣に迷ったりする。

結局そこ(ここ)から私は動けないのだ。生きてる限りは。

そんなことを彼是考えてたら、
なんとなく今回の個展のモチーフがさわさわと見えてきて、テーマが決まった。

 

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