Painter 野嶋奈央子 Naoko Nojima Blog > 2011

2011


30
12月 11

内側にいて外側にいて

 

今年も残すところ2日。いつもの年末がやって来た。
いつものように個展を終えて、いつものように仕事納めして、静かな冬休み。

いつものように、が、いつものようじゃなくなる可能性について日常で想像する事は少ない。
けれど今年は、そういうことを頻繁に想像するようになった。

そんな特別な年にも個展が出来て、色んな人やものや環境や、自分の元気な体や魂に感謝します。

さて、たまには個展や作品の説明を自分なりにしてみようかと思う。
そもそも説明するのって、野暮だなと思ってる。
私の作品は私小説ならぬ私絵画で心象風景みたいなものだから、特に。
自分でも手に負えない”無意識”を制作しながら拾い集めて曖昧なまま形に残している作業なのだ。
だいたい、トラウマをこれがアタシのトラウマです!なんて言えるわけないし、悩みを人に話したい人ばかりではないでしょ。

美術の文脈とか現代社会がどうとか、そういうのが大事なタイプではないけど、
よっぽど広くずっぽり現代社会で生きてるつもりもある。
毎朝通勤電車にゆられて、残業してくたくたでも1人でお酒のんで帰宅して、暇さえあればネットをのぞいて情報収集する。
そんな私がどんなに自分の描く世界は個人的な世界ですから…なんて言っても、完全にゲンダイシャカイの真上にいるわけだから。
だから今の私は今のこの世界とちっとも切り離せない。当たり前だけど。
と、ちょっと話はそれたけど、今回はゆっくり個展の説明をしていこう。

 

まずは展覧会タイトルにもした展示の大きなテーマについて。

誰もが今年を振り返る時に震災と原発のことになると思うけど、私も勿論そうなるわけで、
だけどそれをキッカケに考えるようになったのは自分の位置とかそういうこと。
例えば、人を殺したり自分が殺される夢を見た時に、
刺す感触やピストルで撃たれた瞬間のフワっと脳が浮く感触を、けっこうリアルに体感してるような錯覚をする。
そしてどちらの場合にも「あ、ホントに死ぬんだ。」と瞬間がスロウモーションになってその中で思うの。
次に「自分も殺人の当事者になる可能性があって、実際になってしまってるんだよね?これって。」と冷静に実感する。

私には、起きてしまった事に対して完全に何も出来ない。
倒れたコップの水がこぼれるのをなんとか手でおさえてるような気持ちで、
イキモノみたいに街に覆いかぶさる津波や、骨をむき出しにして煙をあげてるフクイチをただTVで眺めてる。
どういう経緯でここに在るのかわかんない食物をモヤモヤしながらも口にする。

外側にいたつもりの自分がいきなり内側にいる。
カギカッコみたいな括りがついてたり、ポロッとずれたり、そこからダダ漏れしたり、その内側に入ったり外に佇んでたりする。
だけれども同時に、その外側でも自分の生活や自分の悩みは現在進行形で進行するんだよね。
小さなことでくよくよして、仕事やプライベートで失敗したり傷ついたり時にはすごくつまらない涙を流したりもする。
どうでもいいことに怒り狂ったり、大事なメールを何時間もかけて書いたり消したりする。
生活に追われて時間やお金についてうじうじ悩んで、缶コーヒー買うにも¥120と¥100で真剣に迷ったりする。

結局そこ(ここ)から私は動けないのだ。生きてる限りは。

そんなことを彼是考えてたら、
なんとなく今回の個展のモチーフがさわさわと見えてきて、テーマが決まった。

 


22
11月 11

来月は個展があります

ほぼ毎年、同じ時期に同じ画廊で個展をしています。
去年もここのこと、ブログに書きました。
http://naoko-nojima.com/blog/blog/2010/11/28/個展が近づいています/

毎年、展示が終わると「来年はどうしますか?」と聞かれて、
たいていは即決即答で、また来年もお願いしますと答えていました。
それでも年々考える事も増えてきて、同時に迷いが増えたりして、お返事を待ってもらう年もでてきました。

去年の年末も「ちょっと待ってください」とお返事したまま、
年があけ、3月にはNYのグループ展を見に行って、帰国後間もなく震災が起きました。

しばらくは気持ちもふわふわして何にもする気が起きないし、
余震も多くて仕事後にアトリエに寄るのも怖い、
電車の時間が気になるから早々に帰宅したい、
そんな感じで、絵なんか描いてもしかたないなぁとか、ぼんやり考えることもありました。

だけど落ち着いてくると、
この年だからこそ作品に落とし込まないと消化できないものが自分の中に確実にあるなと、
そして、いつもの時期にいつもの場所で個展を決めました。
私なんかに特別な何かが出来る訳ではないけど、自分の為に必要なことなのだと思います。

今回のテーマは、
「ハコの外の、カギカッコの外の、私と彼是。」
相変わらずギリギリまで間に合うかなぁーという制作進行ですが、今回も全部新作で展示します。
よろしくお願いしますー!!

http://naoko-nojima.com/blog/info/2011/11/17/naokonojima2011/

 


9
10月 11

詩と図書室と

ロシアの詩人の話を聞いて、すっかり忘れていた小学生の頃のことを思い出した。
ロシアでは詩や詩人の存在がすごく大事にされていて、小学校では詩の暗唱を必ずするという話だったけど、
そういえば私の学校でも担任が国語教師の時期に詩の暗唱をさせられていた。

子供の頃の私は勿論、漠然とその授業を受けていた。
しかも人前で喋るのが大っ嫌いで滅多に手を挙げて意見を発表しない子供時代の私にとって、
みんなに囲まれて立たされて詩を暗唱するなんて、今想像しても心臓がばくばくする。

それでも詩の授業は好きだったし、毎回暗唱用の詩を先生が選んで来るのを楽しみに待っていた。休み時間は、友達と喋ったり遊んだりもする一方で、時々図書室に1人で行って詩を読んでることもあった。
当時のお気に入りは、いわさきちひろのイラスト集に色んな詩がそえられた全集で、何度もそれを読んでたな。

私の作品ではタイトルについて言われる事が多い。
個展の時には詩のようなテキストを必ずそえている。
意識としては詩ではないつもりだったけど、今思うとあの頃の詩の授業の影響が大きいのかもなーと。

今なら先生に会って、あの頃の詩の授業が私にどんなに大きな影響を与えたのか、伝えられたらいいのにとも思う。無意識的に人に与えてる影響って計り知れないなとも。

今でもなんとなく覚えているのは、北原白秋の『落葉松』、中原中也の『冬の日の記憶』、草野心平の『蛙のうた』。
『冬の日の記憶』の暗く荒れた世界、『落葉松』の寂しい風景、『蛙のうた』の不思議なリズム、こうして何十年もたってるのに、詩の中の空気感を思い出せるんだからことばの世界ってすごいと思う。

そして授業で最も面白かったのは1行詩。
さっきネットで検索してわかったのだけど安西冬衛 の 『春』という詩らしい。

”てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。”

この1行を巡って何時間もみんなが解釈を発表し合う授業だった。
先生、あの授業が大好きでした!

 

 


4
9月 11

思い出の獲得

心理テストなんかで過去の楽しい思い出とか聞かれると困ってしまう。
私は冷めた子供だった。
別にどこか行きたいとこはなかった。

それにつけて都合良く、我が家は両親とも忙し過ぎて無休の自営業だったので家族旅行や行楽の無い家庭だった。
なんとも思わなかったし、退屈でもなかった。

だから大人になってからも、海に行くとか遊園地に行くとか、なんとなくしていない。
それでも毎日働いているとどこかに行きたくなったりして、ちょっとは浮かれて海とか行ってもいいかなーと思う事もある。

今年の夏は友達と海に行った。
約束をした時に、なんとなくこれで「夏」っぽい「思い出」っぽいものを獲得した !という気になった。
もちろん私は水着も持って行かなかったし泳いでもいないけれど、夕方に1人で海を眺めている時間はすごくよかった。
原発事故の影響なのか思ったよりも人がすくなくて、夕方の海は特になんだか物寂しい感じがした。

忘れた頃にまた、こうやって同じように海をぼんやり眺める日が来ますように、と思った。


21
8月 11

思い出の匂いと捻挫

色んなことが突然にやって来る。
遠くから眺めていると、実はすごく簡単な仕組みで繋がってたりするのかもしれないし、
びっくりするぐらい絶妙なバランスで上手いこといってる のかもしれないし。

真っ只中で毎日ひたすら過ごしてる自分は、そんな仕組みに何にも気づかなかったりもするのだろうか?

先日、足首を捻挫した。
震災の時もそうだけど、自分がその張本人になるなんて思ってもいないことって多い。
運動もせずに普通に生活していて、捻挫なんかするとは夢にも思わなかったもん。

仕事の休憩中に疲れてふらふらと散歩に出かけると、いつも使ってる職場の階段で転んでしまっただけで捻挫なんて、もう若くもないなーなんて思ったりもした。

私の実家は、2階が住宅スペースで、1階は車庫と物置だった。
物置と言っても1階部分の大半を占めているのでけっこう広くて子供の時には近いのに未知の 空間だったと思う。そこでよく遊んでいたけど、いくら遊んでも手が届かないガラクタが奥の方にいっぱいあって不思議な空間だった。

階段を下りてる時に、ふとその実家の物置の匂いがした。
埃っぽくて決してイイ匂いではないのだけれど、そういう時って脳に直接記憶のスイッチがパチンと入るような不思議な感じでびびっと入り込む。それで遠い記憶の中に沈んで行くわけで。

そうこうして、小さいころの懐かしい匂いにひたってる瞬間の転倒で捻挫。
捻挫は、通勤時間が長いのでしばらくは相当に不便だったけど、ずっと頭の片隅に追いやられていた匂いを思い出して、なんとなくそわそわしている。

 

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