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22
5月 17

風はなにいろですか

先日色の話を少し書いたのは、
最近取材を受けたピンクのことと、今月末から始まるグループ展の影響です。

■「風はなにいろですか Part1」 What color is the wind? part 1

 2017年 5月29日(月)~6月3日(土) ◎11:30~19:00(土曜日は17:00まで)

飯島千恵、市川真也、いのうえあい、大久保貴裕、岡島飛鳥、奥田恭子、小野木亜美、川上美里、鯉沼絵里子、佐立るり子、武弓真実、知久彗来、時田大輔、名越晴香、西尾周平、野嶋奈央子、野村紘陸、本田和博、光島貴之、宮本梨衣

◎ギャラリイK(京橋駅から徒歩2分/銀座駅から徒歩6分)
〒104-0031東京都中央区京橋3-9-7京橋ポイントビル4F
Tel/Fax.03-3563-4578
e-mail : galleryk@nifty.com
http://galleryk.la.coocan.jp/second/schedule/schedule.html

私はテーマが与えられることが苦手です。
と言うと、それは自由過ぎる性質だからだと思われがちですが全くの逆ですごく縛られるから。
完全に固定された具体的なテーマだと楽なのだけど、抽象的なテーマが本当に苦手で、
抽象的なのにしばってくるとなると元々硬かった頭がさらにがちがちに固まるのがわかる。
浪人時代に苦しんだのも、受験のデッサン課題に「想定デッサン」入り込んできた頃からだった。

そんなわけで苦手課題、更に普段が避けていた「グループ展」という形式なのだけど、
たまにはそれもいいかなと参加してみました。

私のがちがちに凝り固まった頭で風の色について考えてみて久しぶりに思い出したのは
生まれ育った街が盆地で内陸なので風があまり吹いていないという記憶。
実家をでてからもう東京のほうが長くなってしまったけど、いまだ夢にはよくでてくる地元の街の風景、
夢の中でも風はまったく吹いていないのです。

今回は小品1枚の出展です。
風で散って落ちた1枚の花びらをイメージして描きました。

銀座も近いので、展示を見ていただけたらついでに資生堂のギャラリーなど立ち寄って
無料配布の「花椿」を探してみてください。ちょこっとピンクについて話しています。

http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp/magazine/309

http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp/about/map/

 


13
5月 17

色のはなし

DSC_3575

色の話、というのは難しいと思っている。

過去に参加をしたグループ展の中で外の参加作家がやたらと色の意味を説明しているのが気になったことがある。
〇〇色はこんな気持ちや世界観を表している、というようなことを説明していた。
個人的な印象で色を説明するとどうしても安易に感じてしまう。

私は自分で「色の作家」だと思っていた時期がある。
かなり若い頃で、学生時代から色使いに対する評価を受けることが多かったからなのだけど、
色を選ぶときの一番のポイントは絵の具の素材感だ。

もちろん好きな色はある。ピンクと紫、作品で頻繁に使うターコイズブルーなど。
気づいたら身近に同じ色ばかり集まっていて、家はだいたいポップなピンクのものが多い。

作品に使う色は、
重ねたときの質感、透明感、絵の具自体の物質的な重さ硬さ、にじみ、そういう体感的な要素でしっくりくるものを選んでいる。

先日ピンクについて考える機会が与えられたのだけど
私のとってのピンクは女の子的でもなくぼんやりした位置にある。
作品の中では抜けの部分に使う。
使用している絵の具が垂れたりにじませたときが最もきれいな絵の具だから必然的に薄く使うことになり、結果的に抜けになる。
特に温かみも冷たさも感じない温度を感じさせない色だから余計な情報が少なくて抜けに使いやすいと思っている。

絵の具をキャンバスにおく瞬間の気持ちよさは、絵の具の質感、しみこみ、物質感や抵抗感で、色の気持ちよさは、塗り終えたところからじわっと感じられる。

こんな私でも高校生ぐらいまでは、全身黒などモノトーンの色ばかり身に着けていた。
描く絵もくすんだグレートーンの作風だった。
「南は色で、北は形」といいたことがあるけど、そのころ妙に納得したのを覚えている。

私はいつから今の色になったのか、今の色がほんとの自分なのかまだいまいちわからない。

 


17
3月 17

今の自分と、個展と、オザケン的なもの

私は自分のことをよくわかっている、つもりでいる。近しい他人より、よっぽど他人目線で自分を見ている、ぐらいに思い込んでいる。だけれど人から言われる「あなたって○○なタイプだよね」の中には、やはり自分の見る自分や近しい他人に言われる私とかけはなれているものも時々あり、その内容にというよりも他人にわかってもらえていないことに落胆したりする。当たり前なんだけどね。

最近オザケンが新譜を出してイキナリのことにテレビやネットでざわざわしていた。私はオザケン信者のようにそこまでは彼への強い思いはないのだけど、それでもオザケンが新譜を出したならばそりゃあ気になる世代なのだ。

なんの先入観もなく聴いてみての印象は「相変らずオザケン元気そうでなにより」みたいな感じ。幼なじみのような、親戚のおばちゃんのような、一緒に音楽やってた仲間のようなこの感覚、なんだかわからないけど、とにかく元気そうでなにより、というこれにつきた。

そして、借してもらった人にそれを伝えようとしたら、全く同じことを先に言われてしまった。私だけじゃないこのオザケンへの気持ち、オザケン的なこれってなんだろう?

久しぶりの人に会って、お互い状況も年代も以前と変わってしまっている(はずな)のに、確かに顔にはシワのようなものできて、全体に当時のとがったものやきらきら輝いていた無邪気さが減っていたとしても、あーなんか相変らず元気そうでなによりと言われるあの感じ、あれっていい。
決して成長していないとか、退化してるということではなくて、逆に大人になってガラッと変わってしまったりではなくて、大事にしている芯はそのままに(本人が意識してようがしてまいが)だけど年相応に進んでいるのだよ歳を重ねることを。進むことも留まることにも無理が無い、素直さというか。

オザケン的なそれは、たぶんそんな素直さと、だけどその素直さが平坦な単純さではなく積み重ねてきた確信のような位置のあるものなのかもなぁと。

 

さてさてこの長い長い前置き。

昨年末に久しぶりに個展をしました。ずっと毎年続けていたのに、震災の頃から生活というか意識が変わり昨年までの間にもちょこちょこ個展やアートフェアなどやってはいたけどなんとなくそわそわしていて、さてまたいつも通りの個展をやるか〜という意識で重い腰をあげた感じはこの昨年末の個展が久しぶりだったような気がします。
私の中では変化もあるし、今までにない試みもあったけど、今まで展示を見てきてくれた人があれをみて「久しぶりだけど相変らず元気そうじゃん」ってちょっとニヤニヤしながら見てくれてたらそれがいちばん満足かなって。

年末年始の仕事の忙しさとその後の確定申告などで気づいたら3月なかば。文字にして書きたいことはいつもいっぱいあって、個展のこともっと具体的に書きたかったのに時間がたってしまったのでこんな感じで個展納め。

仕事もう少し落ち着いたら、今年はやりたいこといくつかあるのでぼちぼち作っていこ。
5月のグループ展と10月のグループ展に向けてゆるく描いていこー。


16
11月 16

久しぶりに個展です

毎日忙しい。もう11月とは!

さて久しぶりに個展です。
しばらく毎年個展をしていたギャラリーなのですが、ずいぶん間があいてしまいました。

http://naoko-nojima.com/blog/info/2016/11/16/個展のご案内/

やみくもに毎年展示するぞ!とやっていた頃も全く無駄ではなかったけど、
間をあけるのも悪くない。
続きであり新しくもある、という意識が
保守的でモタつく私を今回は少しだけ軽くしてくれたような気もします。

今回の隠れたテーマは
ナニかに「覆われてる」ナニかが「かぶってる」穴みたいなものが「ふさがれてる」という感じです。
言葉で書くとちょっと後ろ向きな印象ですが、実際は以前よりも諸々が楽になった結果なので前向きなふさがれ方なのです。
簡単に言うならば、傷がふさがってきたというのに近いのかも。
あとは、いつも所在が曖昧だった作品タイトル(言葉)の見せ方を変えてみました。

曲者である自分のその部分がより出ているのは実はタイトルで(でもそのタイトルは勿論作品ありきなわけで)
今まではその曲者部分をぼそぼそ呟いてるところ止まりだったところから、少しだけ表に主張してみようと思いました。
それが作品の邪魔をする可能性もあるけど、それ含めて今回はやってみました。

仕事が忙しいせいもあり、久しぶりにすっごく気力使ったなーという実感。
個展はいつも(音楽でいうなら)アルバムを作っている感覚に似てるのではと思っている。(音楽作ってないからわかんないけど。)
短い期間ですがよろしくおねがいします!


31
8月 16

どこにいるのか、ピンとこない。

初対面の人と絵を描いてるという話しになった時に、どんな絵ですか?と聞かれると答えに困る。これはラーメンが好きと言った時に、どこのお店がオススメ?と聞いてくる人とも似ている。というのも、相手が自分と同じぐらいか、それ以上にラーメンが好きなら話しは早いのだけど、恐らく自分よりはこの件に関して疎いだろう相手に、自分の好きな方向性をどう説明すれば伝わるのかを迷ってしまう。一般受けする説明というか、この件にあまり興味がなく知識も少ないであろう相手に、ニュアンスの大事な部分を説明をするのは難しい。

話しを絵に戻すと、だいたい普通の人は絵なんか興味がない。美術系の知人以外で美術館に行くのが好きな人はあまり見かけないし、ギャラリー巡りをするような人なんかなおさら。そんなことおかまいなしに、自分はアーティストよ!って勢いでもりもり自分の作風やコンセプトとか、知らない人には凄い芸術家みたいに勘違いしてもらえるかっこよさげな展示歴とか、ぺらぺらと喋れる性格ならいいのだけどね。

私の場合、さて、この人にとって、世の中の一般的な人たちにとって、私の立ち位置はどこなのか。と、まずはそこでつまずく。

例えば「絵描きです」なんて言おうものなら「絵で食べてるの?」という直球を投げてくる人がいる。なかには「食ってけてないならプロじゃない論」を始める人もいる。はいはいわかっていますよと思うけれど、生活の諸々を犠牲にしながら絵を描いたり、発表活動を続けているのも事実。そこには「趣味」という意識はない。

1番迷うのが作風の説明で、恐らくは「パッと見わかりにくい感じの絵です」というのが1番わかりやすい。(という矛盾。)

「抽象」「具象」という分け方があるけれど、これも今や複雑になっている。私の大学時代は、具象抽象以外にも、半具象、半抽象、非具象とかなんとか屁理屈のような名称でクラス分けされていた。今の美大はどうなっているのかわからないけど、私は当時その感じが理屈っぽいというか屁理屈っぽくて違和感を持っていた。
ちなみに私は、あまり興味のなさそうな人に答える場合は自分の作風は「抽象っぽい」と答えているし、やや美術好きそうな人には「半抽象というか半具象というか」と答えている。自分の中では、ほぼ具象。

私が作品を描き出す前のエスキースは、ほとんどが文字で、残りはだいたい写真。所謂ドローイングはメモ程度に2割程度。言葉だから具象的かというと、実は自分で後から読んでもよくわからない部分もある程に抽象的な言葉の羅列の時もある。設計図の行程のような文字群ではなくて、感情や光景や擬音や、イメージに近い形のものの名称など、ずらずら書き留めてある。この言葉は具象的なのか抽象的なのか?

それでも最近、本当にごくごく最近になって、自分は具象だとハッキリ自覚するようになった。自称絵描きで、抽象ぽいもの描いてて、絵で食べていけていない、そんなぱっとしないポジションを、立ち位置がはっきりしないと思わなくもなってきた。
絵で食べてけないのに絵を続けている絵描きだし、抽象だと思われがちだけど写真見ながら在るものを描いている。

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